ユウシの作文

それでも 私は 文章をかくんだっ 自分が生きるために!!

下北沢 珉亭

パソコンでしか文章を書かないので、パソコンから離れた生活をしているとブログが書けなくなります。ユウシです。

下北沢の珉亭が閉店というツイートを見て、とにかくびっくりした。
地方暮らしのロックファンにとって、憧れの場所。1度は行ってみたい場所。

しかし閉店という情報は正確ではなかったようで、とりあえず安心。

…安心?
なにが安心?

「決して閉店しない」とでも?俺?

そーじゃない。
今まで何度も、失ってきたじゃんか。

うん、行こう。この夏に行こう。

時間も場所も人も、「いつか行こう」を永遠に待ってはくれない。

行きたければ早く行こう。
会いたければ早く会おう。

永遠ではない。
必ず、有限。
いつか失う。いつか遠のく。

なら、今だ。
思いには、素直さ、が1番、いいんだ。
草花に水のようなものだもの。

永遠ではない。
いや、永遠は、ある。
それは時間の中にある。
あのときのぼくやあのときのきみは
永遠のものとしてぼくの中にある。
しかし、質量として存在するものには、やはり永遠はないんだ。

だから、永遠とは祈りのようなもの。
「ご飯が炊かれ麺が茹でられる永遠」。

時間として永遠にするために
「触れるもの」には、「すぐ触ろう」。

触りたい。行こう。

自分はどこにいるか

僕が大学時代所属していた部活の顧問は、高橋史朗先生であった。

先生は、実際の部活動にはまったく興味は無いようで関わりがなかったが、打ち上げなどでおごってくれたり活動を評価してくださったりして、「お世話になっている」という感覚が僕ら学生にはあった。あと、カラオケで「飲みすぎたのはあなたのせいよ♪」と一緒にデュエットして、最後にサライを熱唱した記憶もある。

先生の研究などは、ゼミも違ったし、当時何もわからなかったが、著作をもらったこともある。
あいにく不良学生の僕は、活字だらけの専門書に興味が持てず、読まなかったが。

純粋でいい子の学生がまじめにその本を読んでいたら、どうだっただろうか。
僕みたいな「年上がおごるのは当然だろ♪」みたいな調子のいい人間じゃなく「本当にお世話になっている」と深く恩義を感じるようなタイプだったらどうだっただろうか。

今でも、史朗先生には「お世話になった」という感覚がある。間違いなく、先生は「いい人」だったし、優しかったし、学生思いだったと思っている。「恩人」という感覚がある。

しかし、高橋史朗先生は、「親学」など、今の僕が到底認めることのできない「とんでもない教育論」の提唱者だ。

そこに、僕は「人間」を思う。

会ったこともない安倍首相のことは痛烈に批判もできるし、なんならその人格まで批判してしまいそうな勢いだ。
しかし、史朗先生に、そういう批判はできない。
理論を批判はするし認めない。
だが、人格攻撃をしようとは思えない。
知っているからだ。本人を。

会ったことがなければ
知らなければ
あとは想像しかない。

やさしさとは想像力だ。

誰かを批判するときに、「僕が僕であること」を忘れないようにしようと思う。
僕が僕であること。「こういう僕でありたい」ということ。

一番大切なのは、「自分」だ。

醜い自分にならないように。
美意識を失わぬように。

確固たる意思を
やさしさの上に乗せて。

そこに、自分。

 

夜に思う、不安。

変化していく。
あらゆるものは変化していく。
人間そのものも、関係性も。

そんなことは当たり前すぎること、わざわざ、大人がこうやって、確認するようなことですら、ない。
わかってる。
わかっていても、ときおり、まるで口に出すような生々しい息づかいで、心の中、つぶやく。

おれは幼児に関する職場に勤めていて、そこそこいい年齢で、一般的には、わりとえらいとされている役職についている。

そして今夜はお泊まり保育だ。

夜中は、職員で、1時間ずつ、寝ずの番をする。
おれは、そのうち2時間を担当する。
自分で、そうした。人が足りなかったからだ。

えらい役職なのに新人みたいな働き方して、えらいね!と単純には、思わない。
えらい人にはえらい人の仕事がある。
その人にしかできない仕事があるならば、他の人にでもできる仕事は他の人に任せてもいい。そんなときもある。

しかしおれは、自分が不安なのだ。 

いつまでも、若くいたい。
変わりたくないところは、変わりたく、ない。

2時間の間、おねしょのチェックをしたり、一緒にトイレに行ったり、つい今までは、おねしょした子のパンツを水道で洗っていた。
あんまり星は見えなかった。

こうして。
子どもの近くにいないと。
おれが不安なのだ。

子どものためにと思う気持ち
みずみずしい感性
そういったものを、失いたくない。
失うのが、怖い。

顔も体も老けていく。
でも、自分のことばかり考えてる年寄りには、なりたくないんだ。

まわりの人はみんな変わっていく。
おれは、どうだ?
変化は必ず、する。
それは、もちろん、いいことだ。
または仕方のないことだ。
でも、大切なことを大切にできているか?

忘れない、変わらない

おれは、やる。愛し続ける。
誰が変わってしまっても。
誰がおれのそばを去っていっても。
おれは、変わらずに。
夜だから夜中だからそのテンションをここにぶつける。
だからって、嘘じゃない。
こんなときに、誓ったって、いいはずだ。

ガラス玉

久々に?
取り乱してしまった。
こう、つらくて。

もうすぐ40歳にもなろうというのに惑うばかり。

みっともない、情けない、カッコ悪い、申し訳ない。

強くならねば。ヒーローになりたい。
単純に助けたい。
人を喜ばせたい。

誰かに勝手に期待して、叶わなければつらくなる。
下手したらその人を責めかねない。
そんな精神は、お山にポイだ。
マッターホルンにポイだ。
マッターホルンってどこだろ。
たぶん結構、遠くだ。
大府より、青森より、仁川より遠いだろう。たぶん。
遠くにポイ。
戻ってくんなよ!!!

誰か。もし拾ったら。
傷んだとこだけ切りとって
あとのところは
うん、好きにして
芯のところは
わりと透明なガラス玉みたいな
たぶん。たぶんね。

弱音

精神を病んでいる友人を救う、というのは、非常に、非常にきついことだ。

おれにとって、2回目。
2回目の経験だ。
前にも、あった。違う友達を。救おうと。

わかってる。

魂を削るように救おうとしてはいけない。
それは、なんにもならなかったじゃないか。
何ヶ月も、いや何年も、苦しんだことが、NPOを頼って、一発で解決した。
プロの仕事で支援してもらうことの方がずっと大事だ。
友人としてまとめて全部救うなんてできない。

おれが壊れる。

わかってる。
経験済みだ。

だから、冷たく思われても。
おれはやらない。
おれの日常を変えない。
壊してまで君の元に行かない。
共倒れに、なるだけだから。

それでもつらいんだよ。

誰か助けて、なんて言いたくなるのをこらえてる。
こらえきれないつらさはどうする?

文章を書く。
文章を読む。

ほかに見つからない。あとの方法は誰かを傷つけるかもしれないからな。

本当は誰かを頼りたい。
本当は助けて欲しい。

つらいぜ。
まあ、でもなんとかなるだろ。
自分の強さを信じよう。

つらいぜ。


2011年9月19日の日記。

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「光」

今日は刈谷に行った。
約束を守りに。

ゲンジボタルの幼虫は、カワニナっていう貝しか食べない。
他のものを食えばいいのに、カワニナしか食わないから、生きていけなくなっていく。


この夏、おれは友達を助けたかった。


高校生の頃、みんなは何をしていた?
おれはあの校舎の中で、友達がほしくて、でも浮いていて、
とても不器用で、かっこわるかった。

それでもそんな中で、仲間がいた。
将来のことを不安がることもなく
現実に潰されそうになることもなく
面白いことをいっぱいやった。
バカなことをいっぱいやった。
真剣な遊びをいっぱいやった。
話をして、笑って、煙草を吸って、勝負して、歌って、
騒いで、屋上にのぼって、ケンカして、遊んでいた。

まるで魔法がかかったような時間だった。


15年。
少年はシンデレラじゃなくおっさんになった。
魔法が解けるように、みんな、「生活」の中に。

彼はすべての家族と別れた。

昨夏、きゅうに彼はひとりになって、帰る場所がなくなった。

困っていた。
助けたかった。
魔法の中にいた友達だから。
ただ当たり前に。
おれはおれの守るべきを守りながら、彼も、と。

彼には病気があり、彼は弱かった。
おれよりもずっと不器用で、繊細で、彼には、もう他の誰もいなかった。
行政も、福祉も、中途半端で制度の中に入れない彼に、なにも、なかった。


1年。
弱い彼は、病んで、戻って、を繰り返し、
それでもひとり、生きてきた。
おれにはできないかもしれない。
彼は、おれと対等だ。
おれは、支えてきた。
しかし、もう、ひょっとしてそろそろ限界なのかもしれなかった。

彼も、おれも。


この夏は、おれにとって、やはり、つらい夏だった。
「失った」夏だった。

7月、終わり、夏の日。
生活保護の書類を揃え、ダイソーで印鑑を買い、車を停めた。
そこで、終わった。
何日も前に置いておいた食料が腐臭を放っていた。
彼は、完全に姿を消していて、おれは、彼の残骸を見た。
それからの日々、なにも変わらない彼の車、残骸を、何度も何度も見るだけになった。

死んだかもしれないな。

そう思いながら、何度も。
何度も155号線を走り、何度もあの公園に。
夢の終わりを幻に見て。

 

9/16
刈谷市役所からの留守電
「お伝えしたい事があります」

以前聞いた、「なにかあったら」電話します、という響きには、「悪い方向で」というニュアンスがあったのを、よく覚えていた。
くらっ、とした。

しかしその内容は、つまり、生きていた、ということがわかった、のだ。
嬉しかったさ。それは、もちろん。
そして、今日、会いに行って、待った。
でも、会えなかった、だけ。

おれは拒否された。
「会いたくない」、という、ことだ。


おれは。

していない約束まで守ろうとする。

約束はふたりでするものさ。
おれは、勝手に、守ろうとする。
していない約束を。


おれっていうのが、わからなくなる。
おれは、なんだったのだ。

 

困っているなら
助けたかった。
おまえのためになりたかった。
おまえが笑うのを見たかった。
そしてそれはおれのクスリだ。


おれが俺のクスリを求めたのが、間違いだった、か。
人を助けるということ、
それは、自分は助からなくてもいい、という覚悟がいることなのか。

たくさんのことがあって
それらがすべて
正直に
苦しかった。
つらかった。
寂しかった。
本当に、本当に。

 

この夏はおれに語りかけた。
誰もおれを助けてはくれない。
それが当たり前だ。
その当たり前の上で、人を思え。
大切な人間を、好きな人間を。
ほんとうのやさしさを自分に求めるなら、そう思え。

やさしい人間になりたい。

なら、強くなれ。
ひとりで耐えきれ、飲みきれ、頼るな、期待するな。
なのにこうやって文章を書く。
誰かに伝えようとする、苦しみを、「どうにもならなさ」を。

おれはいったいなんなのだ。


病気に似ている。


このやさしさは
カワニナしか食わないから
本当はおれを思ってくれる人がたくさんいるのに
おれはカワニナしか食わないから
きっと


おれはやさしくなれないのかな


おれも、彼も、あなたも


いつか
やさしさが
いつか羽化して、美しく光るホタルになったら

きれいだろ。

光。

おれは燃え尽きないろうそくになりたい。
人を焼かず、自分を焼かず
いつまでも、いつまでも、その光を灯しつづけられたら

いいのにな。

 

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2012年5月7日の日記。

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「ある光」

月が明るい。
久しぶりに、刈谷総合運動公園に行ってみた。
「彼」の車はそのままで、時は止まっていて、変化はなかった。
開いた窓から雨が吹き込んだのか、車内が少し汚れていた。

生きてるのだろうか。
きっと生きてるのだろうな。

寂しがり屋は、空をよく見上げる。
アイツも同じ月を見ているだろうか。

155号線を走る。
この道を走ると、普段は考えない、ツラかったことを
たくさん
たくさん
思い出す。

去年の夏は本当にツラかったんだ。
なんの癒やしもなかった。
毎日が本当にツラかった。
こういうことを書くのは、不幸自慢みたいでイヤなんだが…
過ぎた今なら言ってもいいんじゃないかと。

ツラかったよ
本当に。

去年の9/19の日記(「光」)を読みなおしてみた。

ああ。そうなんだよ。

愛なんだ。
結局。


光。

満月の光。

照らしておくれよ
一寸先は闇でいいから

いま ここだけを。

彼だけを。

 


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2012年8月28日の日記。

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「天の川」

マスオカの実家近くを走ってる。

昔このへんをよくケッタで走ったな。

タナカくんをケツに乗せて。

廃虚になったラブホテルを探検した。

ナットくんと、授業フケてチンペイを助けに行ったな。

ナカオくんが投げた指輪は、まだ洲原池に沈んでんのかな。

まったくたのしい高校生活だった。

もし、きみがおれと同い年で、あそこにいたら、きっと友達になってた、かな。

遠くの方で、2ストのカン高い音がする。
あれは、マスオカの単車じゃないのかな。

二度と戻らない。

二度と戻らない、一回きりだった。

ただずっと過ぎていく
すべての時が一瞬

いまきみとつなぐ手も
一緒に見上げる星も

過ぎていき、戻らない。


たくさん遊ぼう。


誰になんて思われても、一瞬のきらめきを
集めるように

遊ぼう。

いつまでも、いつまでも、ずっと。

それだけを、願い続け、終わらない時間を
遊び続けよう。

いつまでも、いつまでも、過ぎていく、一瞬、
ずっと、若く、ふしだらに、願い続け、
遊ぼう、一緒に。

ネルソン・マンデラ

今日、職場の新人が誕生日だった。

高校のとき付き合っていた子と同じ誕生日。

彼女も40歳か。元気かな。子どもたちは幸せかな。

それはどうでもいいので、「ネルソン・マンデラと同じ誕生日だね」と話しかけた。

「誰ですか?」

まあ、そうだろうと思ったさ。残念、でもしかたない。

 

つらいとき苦しいときに思い返す人の、ひとり。

ネルソン・マンデラ

アパルトヘイト(差別的な人種隔離政策)に反対し、27年間牢獄にいた。

そして、そののち南アフリカ初の民主的選挙で大統領に選ばれた男。

 

ネルソン・マンデラのことを考えれば、勇気と力がわいてくる。

 

彼は言った。

「成し遂げたことで私を判断するのではなく、失敗して再び立ち上がった回数で判断してほしい」

 

ネルソン・マンデラのことを考えれば、勇気と力がわいてくる。

おれは、なんでもできるはずだ。

あきらめなければ。続けていけば。

 

彼は言った。

「外見は大事だよ。つまり、笑顔がね」

 

ヘラヘラ脱力。

たまに力んで。

 

力を抜いて、脱力して。自然のままに。

勇気と力が必要なときは、こぶしを握る、不自然に。

 

ネルソン・マンデラ、あんただってきっとそうだったろ。

 

続けていこう。逃げずに、でも力尽きずに。

テキトーに生きる

日々思う。
テキトーに生きたいと。
それはどーでもいいってことではなく
山の動物のような
なんというか
雑で
ほどよく
でも生きることが全て、であるかのような
邪念無く
欲望に素直に
人にやさしく
幸せをかみしめるようなことで
つまりテキトーに生きることがベストのような感覚がある
夢がおれたちを見張ってるので
何も心配はいらない。