ユウシの作文

それでも 私は 文章をかくんだっ 自分が生きるために!!

30年度 卒園式 祝辞

卒園式、園長祝辞

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今日はたくさんの大人が涙を流して泣いてるね。
何で泣いてるかわかるかな?
それがわかるようになったのも、みんながおおきくなった、ってことだね。

さて、今日は卒園式という幼稚園最後の日。先生は、みんなに「ありがとう」を伝えたいと思います。
みんなから見たら、大人や先生って、大きくて、何でも知ってて、すごい、って思うかもしれないけど、実は、そうではないんです。いつもすごいわけではないんです。
園長先生もそうです。

たとえば、大人も失敗をします。
失敗すると、落ち込んで、がっかりします。
間違いをすると、元気が出ません。
そんなとき、みんなが幼稚園で、何か失敗をしちゃっても、もう一度!とくじけずにまた挑戦するところを見て、先生も元気が出ました。
失敗しても、また挑戦する勇気と元気をくれて、どうもありがとう。

それから、大人もケンカをします。
「あいつのせいでこんなことになっちゃった!」
「もう口をきかないぞ!」
「仲良くしないぞ!」
ってなったりします。
でも、幼稚園で、みんなが友達とケンカをしても、口でお話をしたり、時にはごめんって謝ったり、まわりの友達が助けてくれたりして、仲直りして、また笑って一緒に遊んでいるところを見て、
「ああ、やっぱり、ケンカしてるより、仲直りして笑ってるほうが、楽しいな」
と思うことができました。
誰とでも仲直りできるよって、教えてくれて、どうもありがとう。

あと、大人は、仕事が忙しかったり、おうちのことで大変だったりすると、楽しいことを忘れて、イライラしたり、つまらなくなったりしてしまいます。
そんなとき、みんなが幼稚園で自分の好きなことを思いっきり楽しんで笑ってるところを見て、「あ!僕も楽しいことをしよう!」って思い出すことができました。
好きなこと、楽しいことをすることが一番大切だってこと、思い出させてくれて、どうもありがとう。

他にもたくさんのありがとうがあります。ここでは言い切れないくらいに。
そんな「ありがとう」をたくさんくれたステキなみんなのことが、先生は大好きです。ずっとずっと、大好きです。

今日は、そんなみんなとお別れをする日です。
でも、大丈夫。だって、小学校に行けば、新しい友達や、新しい先生に出会えます。新しい、楽しいことや好きなことが見つかるでしょう。それを、思いっきり楽しんでほしい、と思います。小学校、中学校、高校、大人になっても、ずっと。

そのうちに、幼稚園のことを忘れていってしまうかもしれません。でも、それでいいのです。幼稚園でどんなことをしたか、どんな先生がいたか、ということは、忘れてもいいのです。それは、そんなに大事なことではないからです。
もっと一番大切なことを、みんなは忘れません。けっして忘れないでしょう。
それは、好きなことが見つかって、それをして、わくわくした気持ち。
友達と一緒に遊んで、嬉しかった気持ち。
バトンタッチリレーや発表会で、思い通りにならないこともあったけど、でも本気でがんばって、自分たちのパワーってすごい!自分って最高!と思えた気持ち。
そういう気持ちは、絶対に忘れないのです。なくなりません。ずっと、あり続けます。先生は、そう、信じています。
それは、みんなの心の中に、幼稚園で過ごした日々が、ずっとある、ということなのです。
みんなの心の中には、幼稚園がずっとあります。
みんなの心の中に、先生たちは、ずっといます。
だから、安心して小学校へいってください。

それから、もうひとつ、忘れないでいてほしいなぁと思っていることがあります。
それは、みんなのことが大好きな大人たちが、ここにはこんなにたくさんいるってことです。みんなと別れるのがさびしくて涙が出てしまうくらい、みんなのことが大好きな大人たちがたくさんいるのです。
みんなのことが、大好きです。
いつでも、ここから、応援しているよ。
卒園、おめでとう。
今まで、幼稚園にきてくれて、ありがとう。

以上をもちまして、園長先生からの、お祝いの言葉といたします。

感動のマイノリティ

 今日、はじめて中学校の卒業式に参加した。
 
みんなちゃんと座ってえらいなーとか歌、難しそうだなーとか思ってたんだけど、一番、いろいろ思ってしまったのは、卒業生の答辞のスピーチだった。
 
それは、多くの人にとってとても感動的なスピーチで、彼と一緒の時間を過ごした人や、その周りにいた人からすれば、さらに感動させられるものだったことは間違いなかった。
自分が目指したものや、それにまつわる苦しみ、そのときに支えてくれた仲間、友人、周囲の先生や親といった大人たちへの感謝などを、感情たっぷりに、時に泣きそうな声になりながら伝える姿は、彼の本音で、だからこそ多くの共感できる人たちへの感動となっただろう。
 
それを聴きながら、ぼくは、さっき証書授与の際、名前は呼ばれたがその場にはいなかった子のことを考えていた。
ぼくはその子を知っている。
 
そして、ぼく自身のことを思い出していた。
中学生のころ。ほとんど覚えていないが、どうだったのかはなんとなく覚えている。
気の合う友達は少なかった。
やられてやられっぱなしになるような性格ではなかったので、いじめられはしなかったが、おれを仲間はずれにしていた連中は結構いた。
孤独といえば孤独だったし、さびしく感じたこともあったが、大きくいうと、別に構わなかった。
たまたま同じクラスに入れられたからって、友達でも仲間でもないやつ、楽しくないやつと仲良くしても意味がない。
気の合う数人がいればいい。
そしておれにはキャンパーがあった。学校以外の居場所があった。
学校では何の努力もしなかったし、何も目指さなかったし、特に誰にも感謝しなかった。
周囲への感謝に気づくような余裕はなかった。
 
彼のスピーチにケチをつけるつもりはまったくない。本当にない。
彼は彼の人生を思いっきり生きたのだろうし、その3年間の本音を存分に語ったのだ。
素晴らしいスピーチだったと心から思う。
 
同時に、そんな彼がなぜ選ばれたのか。それは、彼が学校や大人にとって「こうであってほしい理想的な中学生」だったから選ばれたのだろう、と思う。
 
そうじゃない子どもがいる。
過去のぼくのように。
ひょっとしたら、今日、式に来ていなかった子のように。
そういう子も、生きている。
たぶん、真剣に、たぶん、答辞の彼と同じだけ。
 
ぼくは感動のマジョリティの、外側にいた。
でもぼくにも感動はあった。恋もした。
そこがすみっこでも、群れから離れても、けっして強くも美しくもなくても。
 
その後、高校、大学と進むにつれ、気の合う仲間に出会い、面白いことを見つけ、好きなこと、やりたいことを見つけ、ぼくは、あのころのぼくを、少し離れて見つめられるようになった。
 
それでもぼくは、忘れないでいようと思った、今日。
「ぼくたち」や「みんな」の中にはいない子たちを。
「ぼく」のことを。
 
おれだからわかることがある。
 
今週末はキャンパーだ。
卒業キャンプ。
おれだから語れる言葉で、祝福しよう。
 
どいつもこいつも、卒業おめでとうだぜ。
卒業ってのは、さようならってこと。
次の場所に行くってこと。
さようならがおめでたいんだ。
花に嵐、どいつもこいつもふっとんで、行っちまえ!

敵は誰だ、どこにいる?愛はどこに向かってる?


まずはこの記事を読んで欲しい。
本当にお勧めの記事だから!

辺野古移設「反対」と「容認」の若者 "分断・対立"乗り越えた2人のこれから」
https://www.buzzfeed.com/jp/kensukeseya/kenmintohyo-3

沖縄・県民投票の全県実施を訴えハンストをしてた元シールズ・元山仁士郎さんと、自民党系陣営の青年部長を務めた嘉陽宗一郎さん。

まったく立場も意見も異なるふたりが、お互いをリスペクトし、対話をする姿勢。

これだよ。
これなんだよ。

って思った。
感動しちまった。

ネットにあふれる「意見の対立」は、もう、どうしようもない。
すでに「意見の対立」じゃない。
ただの「対立」だ。
自省の念も込めて言うけど、どうやっても
「野球ファンの罵り合い」
みたいな図式から逃れられない。

ひいきのチームがあって
同じチームを応援する同士がつながって
気に食わないチームの悪口を言う。

一見、議論に見えるけど、実際は「どっちが正しいか強いほう決めよう言葉で殴り合い天下一武道会」当然バカに出番はねぇよ?

…こんだけだ。

どんだけボケてるんだ。おれたちは。

沖縄には、主義思想によらず、基地という「近くて大きな」共通の問題があって
政治に興味関心を持ちやすいのかもしれない。
でも、基地問題は、おれたちの問題じゃないか。
沖縄の問題じゃない。日本の問題だ。

県民投票の投票率を見ても、沖縄が、民主主義の意識において、今一番日本で高いところにいるのかもしれない。
私たちは、学ばなければ。
いや、学ぶというより、彼らに、
「ハッとさせられ」あるいは「グッときて」
「目を覚まして」あるいは「奮起させられ」なければ、なんだ、この命はなんだ?

どんな意見の異なる相手をも尊重し、対話に持ち込もう。
隣の住人、古くからの友人、先輩、後輩、親兄弟。
「こうでなければならない」「こうあるべき」
そこからうまれる「バカにする姿勢」
全部捨てて「君はどう思う?」「なるほどそう思うのか」会話しよう。
主義主張を前に出すほど忘れそう、そんな「他者への尊重」を置き去りにしないよう!

真の敵は、「ある政権」や「ある国」や「ある団体」じゃない。
わかっているはずだった。忘れていた。
真の敵は自分の中にある。
他者に対する排除。蔑み。あらゆる自分発の分断。

対話だ。
全方向への愛だ。
それが、「私」を「私たち」に所属させない、「私」であらしめる。
何かに所属してとりつかれるのではない、個、これが私の命だ。誇り高い命だ。

雷に打たれて一度死んで蘇って今日が生誕1日目おめでとう!
そんなすがすがしい気持ちがする。

理想的な姿を若い命に見た。
これが希望だ。

マンガが好きだ

元気がないならマンガを読もう。
疲れてるならマンガを読もう。
落ち込んでるならマンガを読もう。

マンガ、ラーメン、ロックンロール
それらは何も問題を解決してくれない。
だけどそれらは「解決しない問題を解決しないまま、それでもおれを今より元気にしてくれる」もの。
最高じゃないか。
解決する力があるとしたら、元気になった自分しかないだろ。

今日は、マンガだな。
深いヤツじゃない。スカッと面白いヤツだ。
バキとかカイジとかの一番面白かったあたりがいい気がする。

あ…HUNTERxHUNTER読みたいなぁ。(持ってない)

 

楽しい

僕は幼稚園で働いている。
今日は、発表会本番だった。

今年ほど、楽…というとあれかもしれないが
大変な思いをせずに本番を迎えた発表会は、就職以来、なかった。
だからといって保育の質はまったく落ちてない。

私立幼稚園の先生だって、働き方は変えられる。
経営者の工夫と発案と、それを支えてくれる方のおかげで。

今日の反省会、多くの先生から「楽しかった」「一ヶ月間楽しかった」「今日も楽しかった」の言葉が聞こえた。
片づけをしているとき、支援のパートの先生たちが「本当にステキでまたすぐ見たい」「毎日が本当に楽しい」と言ってくれた。
こんなに嬉しいことがあろうか?

反省会の始まりに僕が言った。

「日本人はすぐ反省会って言いたがる。
真面目なせいなのか、なにがいけなかったのか、を考えようとする。
保育であれば、『こういうところがよかった!』って、まず肯定的な話をするのに。年長さん同士だって、よかったところからまず話すのに。
あれがいけなかったあれはもっとああするべきだった、そんなことより、まず自分はいい保育をした、と自分をほめよう。お互いほめあおう。称えあおう。その上で『こうすればもっとよくなる』と考えるようにしよう。
反省会というより、そういう思いを共感する会をしよう」

これでいいのだ。

「楽しい」より大事なこと、ある?

さて、打ち上げの焼肉、いってこよー。

changes

毎日9時30分、幼稚園では、ジョン・レノン「imagine」が流れるのだけど、毎週水曜だけは違う曲が流れる。
特に意味はなくBGMとして。
子どもは聴いてなくていいし、何も伝わらなくてもかまわない。
ただ、環境として「世界にはいろんな楽しい音楽がある」ってことだけなんとなく用意できたらいい。

でも選曲担当のおれとしては、自己満足で意味を込める!

というわけで、ひとつ大きなイベントの前日の今日は
デヴィッド・ボウイでたぶん一番好きな曲
「changes」

おれ自身が
勇気と元気がモリモリと沸いてくるわけさ
この曲を聴くだけで
特に、勇気が
いつでも、どこでも、どんなときも、
おれはやる、諦めない、そういう勇気が、必ず、胸からこみ上げる、切ないような勇気!

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おまえたちが軽蔑する子どもたちは
世界を変えるさ
おまえたちの話に惑わされたりはしないんだ
自分たちが何をやっているのか
それをわかっているから
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和訳:おれ

 

 

心臓にとどくもの

祖父は今日も生きている。

かなしい さびしい 切ない

単純な形容詞ではあらわせないような、おれの今夜、おれの心。

 

祖父は知性の代表。

僕にとって祖父こそが知性的な人間だった。

 

90を超えても、読書を欠かさなかった。

祖父は第二次世界大戦を経験し、僕には想像できない痛みを味わいながら生き延びて、戦後リベラル…というか、いわゆる「アカ」になった。

でも、「千の風になって」を聴いて泣いていた。

「永遠の0」を読んで泣いていた。

亡くした友人を想って泣いていた。

戦場に散った友人。特攻に散った友人。僕の想像のつかない祖父の時代、祖父の青春。

 

SEALDsの本を読んでいて驚いた。

「こういう若者がいるということは大切なことだ」と言った。

しかし保守派の本も買って読んでいた。

「保守の本も読むんだね」と言ったら

「自分とは違う考えの人間の本を読まなければ意味がない」と答えた。

 

「いまどき、本?」なんて感覚を持っている人がいる。

祖父はパソコンは触れないしスマホも持ってないしインターネットも知らない。

だけど、SNSTwitterFacebook、「自分好みの意見ばかりが集まってくる」ような環境を持たなかった。

祖父が本を読む。それはインターネットやSNSでは得られぬ、知性の湧き出す泉をごくごくと飲んでいるようだった。

 

しかし祖父はユーモアを忘れない。

そして「和」を尊んだ。

誰かを下に見てバカにしたりはしなかった。

時に怒った。感情が迸るときもあった。

旅をしていた。世界中を回っていた。本だけの人ではなかった。歩いていた。

そして忘れない。母が倒れ、祖父と、50歳以上年下の僕と、ふたりで仕事をした一か月あまり。

優しい祖父だった。

そして遠い目をして言った。「人間ってのは、愚かなもんだ」

アイロニカルに。でも、祖父は人間を愛していた。おれは確信している。

 

たったここ数日で、祖父の認知症が、激しく、進んだようだ。

「祖父の、素の、祖父らしい祖父の姿に接せられるのは、あと短い時間しかないかもしれない」

父が言った。

ここ数日の、意味の分からない言動。まだらになる記憶と意識。

具体的な話はおれの胸を貫く。

融けないつららがいつまでも心臓に刺さっているように。

父も、誰かに話さなければ、心の均衡がとれないのかもしれないと、少し、思った。

 

おれには現実感がない。

祖父の認知症

青春を過ごした同期が死んだこと。

心不全で倒れ2日間意識が戻らなかった若い親戚が、さっき意識を取り戻したこと。

ぜんぶ現実感がない。

いま、遠いというほど遠くないどこかから

「ユウシ、生きろ、思いっきり生きろ」

とだけ声が聞こえる。幻聴のような形で、心臓に直接。

 

おれはおれの不幸を背負って生きている。

もちろんおれの幸せを。

おれひとりの、だれにも渡せないし渡しても持てない、おれのための特注された「一度きり」を。

おれの旅の終着点はどこだ。

知らんが、祖父の場所とは違う。

きっとおれはそこに一人で行く。

祖父も、きっと。

 

そこに至るまでの道の途中

突然終わるかもしれないし

認知症になるかもしれない

おれが思うのは、わからない未来より、今。ここだ。

 

今夜はやたらひとりだ。

ぶっ倒れそうなひとり。

 

いつかひとりで行く未来。

それまでに、やさしい人と

楽しいことを、愛を、快楽を

 

祖父よ、私はあなたの知性を継げなかった。

でも、あなたを愛している。

 

会いに行くよ。近いうちに。

会いたいときに、会いたい人に会う。

忙しさや、意地は、ぜんぜん、ポイッ、と、さ。

 

いつかわたしもひとりでいく。

その前に。