ユウシの作文

それでも 私は 文章をかくんだっ 自分が生きるために!!

またね、ばあちゃん

9/23、ばあちゃんが亡くなった。
藤子・F・不二雄先生と同じ命日。

4ヶ月ほど前に亡くなったじいちゃんは5/2、忌野清志郎と同じ命日。
夫婦そろって、覚えやすい日だこと。

特に病気というわけでもない。
94年、生ききって、死んだ。

父方の祖母。
これはまあ、おれのような、孫から見て、の話だが…
どんなばあちゃんだったかと言うと。

そう、ばあちゃんは、海賊のような人だった。
あと、見た目はエリザベス女王チンパンジーを足して1.7で割った感じだった。
キース・リチャーズにもちょっと似てる。
…総合するとチンパンジーっぽいという話だな。

4歳で父を亡くし、母子で暮らしてきた祖母は、戦後の荒れた町を見て
「これからは、女が自立する時代だ」
と思ったという。

ほどなく、近所のお寺の境内で、21歳にして洋裁の私塾を立ち上げる。
それは、「手に職を持ちたい」という、時代の女性のニーズの中で発展し、
いつしか学校法人となるにいたった。
そして、洋裁学校のニーズが減ってきた時代、ばあちゃんは、幼稚園を作った。
それは、洋裁学校を始めたときからのばあちゃんの目標、夢であったそうだ。
ばあちゃんが一貫して思っていた、「女の自由、女の自立」。
そのためには、保育園か、幼稚園だ、と思っていた。

(…聞いた話では、このあたりの経営的手腕というか…
そんな中には、「海賊っぽい」エピソードが散見されるのだが…
ネットに書くにはふさわしくない内容なのは僕にもわかるので、割愛する!)

ある意味において、おれは今も、ばあちゃんの夢の中にいるのさ。

そんなばあちゃんと、前にもここに書いた、知性と反骨の男、じいちゃんが出会う。
ふたりは結婚においても時代の常識に縛られない。
父が中学に入るくらいまで、結婚(入籍)そのものもせず事実婚状態で、父は二つの姓を適当に使い分けていたらしい。
そして
「そろそろ息子も姓がはっきりせんと面倒だから、入籍するか。
じゃあ、おまえ(息子=おれの父)、好きなほうの苗字を選べ」
である。

21世紀になっても嫁入りだ婿入りだとごちゃごちゃ言ってる人が普通に多い日本で、1960年代にすでにこれ。
苗字を自分の息子に選ばせるというテキトーさ。
テキトーじゃないな、それは思想だ。
祖父も祖母も言いそうである。
「苗字なんてのは人間の本質に関係ないから、どうでもいい、なんでもいい」

めでたく「祖父の苗字はダセーから祖母のほうで」という実に子どもの決めそうな理由で、わが一族の苗字が完成する。

(なお、本人たちは自分のことを自慢しないので、おれも最近知ったのだが、じいちゃんは名古屋大学卒業の際に総代をつとめたほど優秀で、ばあちゃんはその強い意思に加え、昔はミス○○(市町村名)に選ばれたこともある美貌だったというので、きっとふたりは激しく恋に落ちたと思うのだが、本人たちに「なんで結婚したの?」と聞いても「わしらは思想で結婚した」としか言わないのであった)

そんな祖父母なので、遺言もきちんと用意してあった。
近年は認知症も進んでいたが、まだ頭がハッキリしていた8年前に書いたそれは、見事なものだった。
残されたものが、誰も困らない。
遺産相続はもちろん、自分たちが亡くなった場合の葬儀の段取りもハッキリと指定されていて、かつ、葬儀場への支払いは自分たちで済ませていた。
そして、延命治療はするな、死ぬべきときがきたら死ぬと。

葬儀は家族葬で、ごく近しい親族のみで行われた。
香典はすべて辞退。
シンプルな葬儀だった。

葬儀で、8年前に祖母が書いた、自身の葬儀用の挨拶文が読まれた。

そこに書かれていたのは、要約すると、こういうことだ。
「いろいろあったがいい人生だった、満足している」
「それらは、周囲の人たちのおかげだった」
「ありがとう」

最後の一文は
「それでは失礼します、さようなら、さようなら」

洒脱な文章だった。

いろいろあった祖母の人生が、最後の幕を閉じたのだった。

ばあちゃんが言っていた「大事なこと」は、とてもシンプルだ。

「自由に生きな」

そして

「仲良くしな」


冷たくなったばあちゃんが、棺の中で横たわる。
本人の希望で、自身の両親の位牌と共に。
ばあちゃんの着ているのは、自分で仕立てた服。
美しい姿だと思った。

こんな日がいつか来る。
そう知っていたから、何年間も、ちょくちょく、祖父母の住む介護マンションに遊びに行った。
曾孫の顔を見せ、おれの顔を見せた。
ばあちゃんは寝たきりでテレビを見て、せんべいばかりかじっていたが、おれが行くと喜んでくれた。
必ず手を握って、そのときできる会話をした。
そして帰り際は、必ずばあちゃんのおでこにキスをした。
ばあちゃんは、いつもそれを喜んで笑ってくれた。

いよいよ出棺、お別れのとき。
いろんなことを思い出し、これで最後かと思うと、涙が出て、止まらない。
でも、いつもどおり、さようならは、おでこにキスをした。
笑って喜んでね、ばあちゃん。


祖母の体は燃え、骨を拾った。
祖母はもう、いないのだ。

しかし、実感がある。
祖母がいたから、今のおれがあるのだという実感。
DNAだけとは思えない、「おれの中に祖母がいる」という確かな感覚。

ああ、これが生きるということか。

いつか死ぬに決まってる。
なんだ、これが答えか。
悩むことはない、苦しむことはない。
生ききって、死ねばいい。
残そうと思うことすらいらない。
残るのだ。当然に。


「自由に生きな」

「仲良くしな」


じいちゃんや、いとこと
先に仲良くやっててくれ。
おれも同じところに行けるように、生きてくよ。

じゃあね。また。

そうだ、気軽に。

ぼくは自民党の政策には納得いってないし、安倍総理は信じられないし、はっきり言うと嫌いだと思ってる。

でも、友人が自民党を応援してる、と言ったとしても、友人をやめようなんて思わないし、その友人が困ってたら助けるし、一緒に遊ぼうぜと言われたら遊ぶ。

単純な話、友達のほうが大切だからだ。

意見の違いでケンカすることはしたくない。
でも、しり込みせずに自分の思いは言葉にしたい。
そのときは、相手をちゃんと尊重したい。心をこめたい。
議論するならお互いを尊重したい。友達ってそういうもんでありたい。

亡くなった祖父はリベラルだったが、保守派の本を読んでいた。
自分とは違う意見を読まなければいけない、と言っていた。
「本」を読んでいた。
140文字のTweetでも2分の動画でもない。
本を一冊。

SNSは、自分に近い意見ばかり集まってくる。
見方によっては、徒党を組んで慰め合うかのように。

ぼくは友達を大切に思う。
でも同時に、たったひとりの人間として独立していたい。

そんなことを思う、参議院選挙期間。
みんな、投票日は7/21、期日前投票イオンモールとかでもできちゃうんだぜ。
夜8時まで。

一人の人間として、自分の思いを形にしようぜ、お互い、ね。

HAPPY BIRTHDAY

今日は祖父の誕生日。

毎年、この日は祖父に会いにいってお祝いをした。

 

祖父は、2ヶ月前に亡くなった。

死んだ祖父の誕生日を祝う不思議な感情。

 

ジョン・レノンキリスト教圏にいて

「想像してごらん、天国なんてないんだと」と歌った。

無神論者の僕は、天国を想像する。

きっと今頃は、圭輔とお祝いしている。

 

「はいじいちゃん、プレゼント」

「おお、ありがとうな」

「ふたりだけでお祝いってのもさびしいけど、こっちにはまだふたりしかいないからなぁ」

「わしがやっときたところだからな」

「みんな早くこればいいのにな笑」

「おまえ、バカなことを言うじゃないぞ。長生きしたほうがいいに決まっとるだろう」

「冗談だよ、冗談、まあそのうちみんな揃ってお祝いできるさ笑」

 

妄想しながら、おれは今日を生きる。

亡くなった愛する人を思いながら、今を生きる。

今夜は渋谷でブルースを聴く。

天国があろうとなかろうとやることは同じだ。

 

笑顔ってバカっぽいじゃんか。

園庭で大泣きしていた3歳の女の子。

近づいて、どうしたの?と聞く。

とても泣いているので、だっこする。

すると「おろして…」と言われる。

おろして、気持ちに寄り添おうと、ひざを曲げ横にしゃがみこむと、「はなれて」と言う。

手は強く、おれの体を押して、決して目は合わせない。

 

そう、好意だからって、受け取ってもらえると決まったわけじゃない。

 

もうじゅうぶん大人になったおれだけど、すこし傷つくような感覚を胸に残す。

わかってる。わかってるんだけどね。

そしておれは笑って、そこから離れる。

 

好意だからって、受け取ってもらえるわけじゃない。

だって、相手はそれを求めてないかもしれないんだもの。

当たり前のこと。

 

ずっと受け取ってもらえないかもしれないけど

からしつこく渡すこともしなくなるけど

好意をもっていたいよね

いつも上機嫌でいたいよね

怒れることも泣けることもそりゃあるけれど

なるべく短くしたいよね

 

それは、だれかにしてもらうことじゃなくて、おれが、ひとりですること。

うしおととら」のうしおみたいに。キン肉マンみたいに。

 

今日もバカ面さげて生きていきます、ヘラヘラと。

 

 

30年度 卒園式 祝辞

卒園式、園長祝辞

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今日はたくさんの大人が涙を流して泣いてるね。
何で泣いてるかわかるかな?
それがわかるようになったのも、みんながおおきくなった、ってことだね。

さて、今日は卒園式という幼稚園最後の日。先生は、みんなに「ありがとう」を伝えたいと思います。
みんなから見たら、大人や先生って、大きくて、何でも知ってて、すごい、って思うかもしれないけど、実は、そうではないんです。いつもすごいわけではないんです。
園長先生もそうです。

たとえば、大人も失敗をします。
失敗すると、落ち込んで、がっかりします。
間違いをすると、元気が出ません。
そんなとき、みんなが幼稚園で、何か失敗をしちゃっても、もう一度!とくじけずにまた挑戦するところを見て、先生も元気が出ました。
失敗しても、また挑戦する勇気と元気をくれて、どうもありがとう。

それから、大人もケンカをします。
「あいつのせいでこんなことになっちゃった!」
「もう口をきかないぞ!」
「仲良くしないぞ!」
ってなったりします。
でも、幼稚園で、みんなが友達とケンカをしても、口でお話をしたり、時にはごめんって謝ったり、まわりの友達が助けてくれたりして、仲直りして、また笑って一緒に遊んでいるところを見て、
「ああ、やっぱり、ケンカしてるより、仲直りして笑ってるほうが、楽しいな」
と思うことができました。
誰とでも仲直りできるよって、教えてくれて、どうもありがとう。

あと、大人は、仕事が忙しかったり、おうちのことで大変だったりすると、楽しいことを忘れて、イライラしたり、つまらなくなったりしてしまいます。
そんなとき、みんなが幼稚園で自分の好きなことを思いっきり楽しんで笑ってるところを見て、「あ!僕も楽しいことをしよう!」って思い出すことができました。
好きなこと、楽しいことをすることが一番大切だってこと、思い出させてくれて、どうもありがとう。

他にもたくさんのありがとうがあります。ここでは言い切れないくらいに。
そんな「ありがとう」をたくさんくれたステキなみんなのことが、先生は大好きです。ずっとずっと、大好きです。

今日は、そんなみんなとお別れをする日です。
でも、大丈夫。だって、小学校に行けば、新しい友達や、新しい先生に出会えます。新しい、楽しいことや好きなことが見つかるでしょう。それを、思いっきり楽しんでほしい、と思います。小学校、中学校、高校、大人になっても、ずっと。

そのうちに、幼稚園のことを忘れていってしまうかもしれません。でも、それでいいのです。幼稚園でどんなことをしたか、どんな先生がいたか、ということは、忘れてもいいのです。それは、そんなに大事なことではないからです。
もっと一番大切なことを、みんなは忘れません。けっして忘れないでしょう。
それは、好きなことが見つかって、それをして、わくわくした気持ち。
友達と一緒に遊んで、嬉しかった気持ち。
バトンタッチリレーや発表会で、思い通りにならないこともあったけど、でも本気でがんばって、自分たちのパワーってすごい!自分って最高!と思えた気持ち。
そういう気持ちは、絶対に忘れないのです。なくなりません。ずっと、あり続けます。先生は、そう、信じています。
それは、みんなの心の中に、幼稚園で過ごした日々が、ずっとある、ということなのです。
みんなの心の中には、幼稚園がずっとあります。
みんなの心の中に、先生たちは、ずっといます。
だから、安心して小学校へいってください。

それから、もうひとつ、忘れないでいてほしいなぁと思っていることがあります。
それは、みんなのことが大好きな大人たちが、ここにはこんなにたくさんいるってことです。みんなと別れるのがさびしくて涙が出てしまうくらい、みんなのことが大好きな大人たちがたくさんいるのです。
みんなのことが、大好きです。
いつでも、ここから、応援しているよ。
卒園、おめでとう。
今まで、幼稚園にきてくれて、ありがとう。

以上をもちまして、園長先生からの、お祝いの言葉といたします。

感動のマイノリティ

 今日、はじめて中学校の卒業式に参加した。
 
みんなちゃんと座ってえらいなーとか歌、難しそうだなーとか思ってたんだけど、一番、いろいろ思ってしまったのは、卒業生の答辞のスピーチだった。
 
それは、多くの人にとってとても感動的なスピーチで、彼と一緒の時間を過ごした人や、その周りにいた人からすれば、さらに感動させられるものだったことは間違いなかった。
自分が目指したものや、それにまつわる苦しみ、そのときに支えてくれた仲間、友人、周囲の先生や親といった大人たちへの感謝などを、感情たっぷりに、時に泣きそうな声になりながら伝える姿は、彼の本音で、だからこそ多くの共感できる人たちへの感動となっただろう。
 
それを聴きながら、ぼくは、さっき証書授与の際、名前は呼ばれたがその場にはいなかった子のことを考えていた。
ぼくはその子を知っている。
 
そして、ぼく自身のことを思い出していた。
中学生のころ。ほとんど覚えていないが、どうだったのかはなんとなく覚えている。
気の合う友達は少なかった。
やられてやられっぱなしになるような性格ではなかったので、いじめられはしなかったが、おれを仲間はずれにしていた連中は結構いた。
孤独といえば孤独だったし、さびしく感じたこともあったが、大きくいうと、別に構わなかった。
たまたま同じクラスに入れられたからって、友達でも仲間でもないやつ、楽しくないやつと仲良くしても意味がない。
気の合う数人がいればいい。
そしておれにはキャンパーがあった。学校以外の居場所があった。
学校では何の努力もしなかったし、何も目指さなかったし、特に誰にも感謝しなかった。
周囲への感謝に気づくような余裕はなかった。
 
彼のスピーチにケチをつけるつもりはまったくない。本当にない。
彼は彼の人生を思いっきり生きたのだろうし、その3年間の本音を存分に語ったのだ。
素晴らしいスピーチだったと心から思う。
 
同時に、そんな彼がなぜ選ばれたのか。それは、彼が学校や大人にとって「こうであってほしい理想的な中学生」だったから選ばれたのだろう、と思う。
 
そうじゃない子どもがいる。
過去のぼくのように。
ひょっとしたら、今日、式に来ていなかった子のように。
そういう子も、生きている。
たぶん、真剣に、たぶん、答辞の彼と同じだけ。
 
ぼくは感動のマジョリティの、外側にいた。
でもぼくにも感動はあった。恋もした。
そこがすみっこでも、群れから離れても、けっして強くも美しくもなくても。
 
その後、高校、大学と進むにつれ、気の合う仲間に出会い、面白いことを見つけ、好きなこと、やりたいことを見つけ、ぼくは、あのころのぼくを、少し離れて見つめられるようになった。
 
それでもぼくは、忘れないでいようと思った、今日。
「ぼくたち」や「みんな」の中にはいない子たちを。
「ぼく」のことを。
 
おれだからわかることがある。
 
今週末はキャンパーだ。
卒業キャンプ。
おれだから語れる言葉で、祝福しよう。
 
どいつもこいつも、卒業おめでとうだぜ。
卒業ってのは、さようならってこと。
次の場所に行くってこと。
さようならがおめでたいんだ。
花に嵐、どいつもこいつもふっとんで、行っちまえ!

敵は誰だ、どこにいる?愛はどこに向かってる?


まずはこの記事を読んで欲しい。
本当にお勧めの記事だから!

辺野古移設「反対」と「容認」の若者 "分断・対立"乗り越えた2人のこれから」
https://www.buzzfeed.com/jp/kensukeseya/kenmintohyo-3

沖縄・県民投票の全県実施を訴えハンストをしてた元シールズ・元山仁士郎さんと、自民党系陣営の青年部長を務めた嘉陽宗一郎さん。

まったく立場も意見も異なるふたりが、お互いをリスペクトし、対話をする姿勢。

これだよ。
これなんだよ。

って思った。
感動しちまった。

ネットにあふれる「意見の対立」は、もう、どうしようもない。
すでに「意見の対立」じゃない。
ただの「対立」だ。
自省の念も込めて言うけど、どうやっても
「野球ファンの罵り合い」
みたいな図式から逃れられない。

ひいきのチームがあって
同じチームを応援する同士がつながって
気に食わないチームの悪口を言う。

一見、議論に見えるけど、実際は「どっちが正しいか強いほう決めよう言葉で殴り合い天下一武道会」当然バカに出番はねぇよ?

…こんだけだ。

どんだけボケてるんだ。おれたちは。

沖縄には、主義思想によらず、基地という「近くて大きな」共通の問題があって
政治に興味関心を持ちやすいのかもしれない。
でも、基地問題は、おれたちの問題じゃないか。
沖縄の問題じゃない。日本の問題だ。

県民投票の投票率を見ても、沖縄が、民主主義の意識において、今一番日本で高いところにいるのかもしれない。
私たちは、学ばなければ。
いや、学ぶというより、彼らに、
「ハッとさせられ」あるいは「グッときて」
「目を覚まして」あるいは「奮起させられ」なければ、なんだ、この命はなんだ?

どんな意見の異なる相手をも尊重し、対話に持ち込もう。
隣の住人、古くからの友人、先輩、後輩、親兄弟。
「こうでなければならない」「こうあるべき」
そこからうまれる「バカにする姿勢」
全部捨てて「君はどう思う?」「なるほどそう思うのか」会話しよう。
主義主張を前に出すほど忘れそう、そんな「他者への尊重」を置き去りにしないよう!

真の敵は、「ある政権」や「ある国」や「ある団体」じゃない。
わかっているはずだった。忘れていた。
真の敵は自分の中にある。
他者に対する排除。蔑み。あらゆる自分発の分断。

対話だ。
全方向への愛だ。
それが、「私」を「私たち」に所属させない、「私」であらしめる。
何かに所属してとりつかれるのではない、個、これが私の命だ。誇り高い命だ。

雷に打たれて一度死んで蘇って今日が生誕1日目おめでとう!
そんなすがすがしい気持ちがする。

理想的な姿を若い命に見た。
これが希望だ。