ユウシの作文

それでも 私は 文章をかくんだっ 自分が生きるために!!

インターネットをうまく使えない、ということ

僕はフローレンスの駒崎さんという方が今まで発信してきたこと全てには賛同できなかったし、反対に思うこともよくあった。
率直に「信用できるか?」と言われたら「そこまでではない」と答えます。

ですが、駒崎さんの主張に賛同することもあるし、考えさせられる、勉強になることもある。

今回の幼児虐待に関するアクション「【拡散希望】もう一人も虐待で死なせたくない。総力をあげた児童虐待対策を求めて署名キャンペーン始めました!」
https://www.komazaki.net/activity/2018/06/post8223/
も、賛同しました。

その後に起こったこれ。

Twitterでの仁藤夢乃さんに関する不正確な情報の拡散のお詫びと経緯」
https://www.komazaki.net/activity/2018/07/post8380/

仁藤さんの文章
https://imidas.jp/kokogaokashii/?article_id=l-72-011-18-06-g559

このことについて、僕とすごく近い考えをされている方の文章を見つけましたので、それを紹介します。

http://usedkenchan.blog63.fc2.com/blog-entry-877.html

この方の主張と僕の思いはほぼ同じです。

で、僕が書きたいのは、このこと自体の是非ではなくて。

駒崎さんや仁藤さんほどの、インターネットに長けているというか…慣れがある、というか、うまく使いこなしているように見える方で
かつ、きちんと理屈立てて物事を考えられる方でも、このような話になってしまうんだなぁと。
(このお二人の感情的な行き違いが、子どもにとっての不利益につながらないことを祈るばかりです)

だからやっぱり、インターネットって難しいんだなぁと。
つくづく思いました。


たとえば「議論」も「批判」も、それ自体が悪いわけじゃない。

でも、インターネットを経由すると、全然、うまくいかなかったり、軋轢や誤解を生む。

なんか、やっぱり、人間はインターネットに対応しきれない存在なんじゃないかと。
こう思うことがよくある。

逆に言うと、インターネット上で「この人はだめな人」と烙印を押されたり
炎上したり
そういうのも、きっと参考にならないんじゃないかなって思う。

会って話したら、友達になれるかも。
友達は無理でも、受け入れることはできるかも。

インターネットには、その人の、本当に一部しか表れないのに
それで全人格が否定されるようなのは、きっと真実とは遠いあり方。

ネットリテラシーっていわれても
なかなか全部は守れないもの。
誰しもが。そして漏れ出した感情はデジタルなデータとしてずっと残る。

対応しきれないなぁ、インターネット。
おれには無理だし、上の二人にとっても。

インターネットを
「うまく使うこと」
これが一番大事、ってことは、よくわかる。
でも、それと同時に
「おれたちはこれをうまく使えない」
ってことも、腹の底から承知しておくことが大事な気がする。

インターネットを、うまく使えないから、失敗をする。
失敗は、するものなんだよな。
おれたち。全員。

自分の失敗に意地を張ったり
他人の失敗を責めすぎたり
しないほうがいい。

今回は、とても、そう思った。