ユウシの作文

それでも 私は 文章をかくんだっ 自分が生きるために!!

自分はどこにいるか

僕が大学時代所属していた部活の顧問は、高橋史朗先生であった。

先生は、実際の部活動にはまったく興味は無いようで関わりがなかったが、打ち上げなどでおごってくれたり活動を評価してくださったりして、「お世話になっている」という感覚が僕ら学生にはあった。あと、カラオケで「飲みすぎたのはあなたのせいよ♪」と一緒にデュエットして、最後にサライを熱唱した記憶もある。

先生の研究などは、ゼミも違ったし、当時何もわからなかったが、著作をもらったこともある。
あいにく不良学生の僕は、活字だらけの専門書に興味が持てず、読まなかったが。

純粋でいい子の学生がまじめにその本を読んでいたら、どうだっただろうか。
僕みたいな「年上がおごるのは当然だろ♪」みたいな調子のいい人間じゃなく「本当にお世話になっている」と深く恩義を感じるようなタイプだったらどうだっただろうか。

今でも、史朗先生には「お世話になった」という感覚がある。間違いなく、先生は「いい人」だったし、優しかったし、学生思いだったと思っている。「恩人」という感覚がある。

しかし、高橋史朗先生は、「親学」など、今の僕が到底認めることのできない「とんでもない教育論」の提唱者だ。

そこに、僕は「人間」を思う。

会ったこともない安倍首相のことは痛烈に批判もできるし、なんならその人格まで批判してしまいそうな勢いだ。
しかし、史朗先生に、そういう批判はできない。
理論を批判はするし認めない。
だが、人格攻撃をしようとは思えない。
知っているからだ。本人を。

会ったことがなければ
知らなければ
あとは想像しかない。

やさしさとは想像力だ。

誰かを批判するときに、「僕が僕であること」を忘れないようにしようと思う。
僕が僕であること。「こういう僕でありたい」ということ。

一番大切なのは、「自分」だ。

醜い自分にならないように。
美意識を失わぬように。

確固たる意思を
やさしさの上に乗せて。

そこに、自分。