誰でもけっこうあるんじゃないかな。
「最初に思いついたことから抜けられない」
あの人はなんか嫌だ、とか
こういうことは自分にはやれない、とか
あるときふっと楽になれる、(ということ自体に気づく)
ああ、そうと決まったわけじゃない、と。
人間なんてもともと悪意だらけじゃないか、嫉妬ねたみ人をバカにしたい
そこで匿名なら
顔出さないんだし
だったらストレス解消
悪意こそ本音
きれいごとの反対側にしか本音がないような
ネットはそういう勘違いと呼応する。
いつしか、「悪意こそエンターテイメントだ」と、流儀ができたようだ
クソくらえだ。
犬のクソを踏んだ靴の裏をわざわざ見せつけられるのは
最初こそ刺激的だったかもしれないが
ずっと続く楽しみにはなりえない。
おれは欲張りだからもっと面白いものがほしい。
それはむしろ善性の中にある。
悪意で終わるな。悪意なんて前提だろう。
人間は汚い、だからその先を頼む。
恋と同じだ。
クソくらえだぜ。