ユウシの作文

それでも 私は 文章をかくんだっ 自分が生きるために!!

あいちトリエンナーレへの補助金不交付(交付撤回)について。

ぼくは交付撤回に明確に反対だ。

まず今回問題とされた「表現の不自由展・その後」そのものについては、刺激的であるがゆえに興味をそそられるものだったし、見てみたいと思っていた。
単純に、脅迫などが相次いだことで、その見る機会が失われたことを残念に思う。
そして、見てみた結果、どう思ったか?という感想を持つ機会も失われてしまったので、展示そのものの感想、良し悪しは何ともいえない。見ていないので。

そんな限定的な「わかる範囲」で思うことだが。

まず慰安婦像や昭和天皇の(ように見える)写真が燃やされるといった作品が展示されることについて、不快に思う人がいるだろうことや、政治的な問題を内包することはよくわかる。
それが展示内容にふさわしいかどうかは議論が分かれていいと思う。
批判が起こるのも当然だし怒る人もいるだろう。

今回は「表現の不自由展・その後」という展示そのものが、過去に「展示内容としてふさわしくない」とされ排除された作品を集めて展示した「表現の不自由展(2015)」という展示の「その後」であり、その意味ではじめから「展示内容にふさわしいかどうか議論が分かれる作品」ばかりが集められて、議論が巻き起こることを前提にしたものであるため、展示への批判は当然の結果だと思う。
批判行為を批判するつもりはなく、批判的に思う人はじゃんじゃん批判したらいいと思う。
そのことで議論が起こることは、この展示の趣旨において本意と言えるだろう。
議論の中で「この中にある、多くの人を傷つける展示は、表現の自由において保護されるべきものではない」という内容があっていいと思うし、その結果、展示中止になることだってありえることだと思う。

しかし、それは、公権力を持った人間による圧力的発言(しかも展示を見てもいないのに)が認められるということではないし、脅迫行為によって中止させることに何の正当性もない。

例えばこの展示に反対の人がいたとしても、「展示中止」に至った手法が「脅迫行為」であったことには明確に反対するべきだ。
「まあ脅迫はよくないけど中止は仕方ないよね」より
「中止するべきだと自分も思うが脅迫は絶対に認められない」と思うべきだ。

そこにきてこの交付撤回決定。
文化庁はその理由として、「展示内容は関係なく」、補助金を申請した愛知県が「来場者を含め、展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実を認識していたにもかかわらず、それらの事実を申告することがなかった」「審査段階においても、文化庁から問い合わせを受けるまでそれらの事実を申告しなかった」と説明した。
一理もないとは言わないが、審査の段階は京都アニメーション事件以前である。
右翼団体による抗議くらいは想定できると思うが、「来場者を含め、展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かす」がガソリン放火の脅迫を想定するような範囲だというのはさすがに無理ではないだろうか。

そしてこれは「悪しき前例」だ。
今後は、公的補助金が使われている事業について、少しでも議論を巻き起こすような内容のものについては、交付決定後でも、脅迫かましとけば交付撤回となりえる。
脅迫者にとっては好都合この上ない話だ。

しかも、この交付撤回は「あいちトリエンナーレ」全体に対してなのだ。
「表現の不自由展・その後」は全体の1%にも満たない小さな規模の展示であるのに。
「あいちトリエンナーレ」全体は有用であるし意義もある美術展だと思うが、減額ではなく全額交付撤回である。

これらの状況を踏まえた上で、愛知県知事が「再開を目指す」と発表した翌日に交付撤回の発表である。
今まで、こんな形で交付撤回された事例があったのだろうか。
「うがった見方」と言われるかもしれないが、「圧力」「検閲」というものを想像せざるを得ない。
もしそういう意図が働いてのものであると仮定するなら、上記以上に危機感を感じざるを得ない。

なお、「補助金(税金)なんか使わずに自分の好きなようにやれよ」という意見もよく見るが、ぼくは「それはそれ、これはこれ」という問題のように思う。
大きな規模の芸術展を開催するのに税金が使われることに異論はないし、ぼく自身はその芸術展の中にいろんな作品が入っていていいと思っている。中には、ぼくが見て不快に思う作品が入っていても。
だって、芸術や表現ってそういうものだと思っているから。
不快な気持ちにさせるのも芸術の持つ重要な要素のひとつだと言ってもいい。不快を排除した芸術なんて滑稽だ。
そして、そういうもの(不快さを内包した芸術)に文化庁が予算を使うのは、文化庁として当然の仕事だと思う。
(今回も、少なくとも表面上は「展示内容で交付撤回したわけではない」と文化庁自身が認めている)
それを「税金交付する側が気に入らないような展示やるならはじめから税金使うな」というのはお門違いだと思う。

そして、ぼくが勤める幼稚園も、補助金交付団体だ。
補助金をもらわずに、今の保育のクオリティは維持できない。
そこに「国の方針と違う教育するなら、補助金なんかもらわずに全額自費で理想の教育やれよ」と言われたら。
なんだか、自分とは関係ない問題とも思えないのである。

以上の理由で、ぼくは、交付撤回には反対です。

以下にも、賛同しました。
https://www.change.org/p/%E6%96%87%E5%8C%96%E5%BA%81-%E6%96%87%E5%8C%96%E5%BA%81%E3%81%AF-%E3%81%82%E3%81%84%E3%81%A1%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AC2019-%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E8%A3%9C%E5%8A%A9%E9%87%91%E4%BA%A4%E4%BB%98%E4%B8%AD%E6%AD%A2%E3%82%92%E6%92%A4%E5%9B%9E%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84

 

★追記★

なお、このように書いているが、ぼくは今回の「表現の不自由展・その後」問題について、あいちトリエンナーレ側や、芸術監督の津田大介氏に全面的賛成や擁護をしたいとは思っていません。
特に津田氏については、個人的政治思想を展示に込めすぎていると思うし、そうでないのなら「表現の不自由展・その後」というテーマに、もっと幅広く作品を選ぶべきだったと思う。
津田氏の功績として、今回「アート界のジェンダー平等」を実施したことがあるが、それならば政治的表現にも偏りがないほうがよかったのではと思った。
また、このように批判の対象ともなる展示をすることに関して無防備というか、要するに「なめていた」様子は動画からもうかがえるため、監督として責を問われる部分はもちろんあると思う。

また、例えば今回の展示がぼくの大好きなもの、たとえば手塚治虫先生だとか、キン肉マンだとか、藤子先生だとか、ロックンロールだとか、そういうものを揶揄・侮辱していると思えるような展示だったとしても、上記に書いた思いは変わりません。
美術展や作品そのものへの批判はするかもしれません。
いや、絶対するでしょう。
怒りもするでしょう。
それをあらわにするでしょう。
でも、だから脅迫していいとは思わないし、政治家が圧力的発言をしてもいいとは思わないし、補助金交付撤回していいとは少しも思いません。
今回の思いは、ぼく個人の趣味・思想を超えたところにあることは確かです。