めったにない、眠れない夜をなんとかやり過ごす。
時計の秒針は、毎夜こんな長いあいだ動き続けるんだな、と思う。
何も考えたくないはずの頭が、単三電池一本でなんとたくましい、なんて考え始めている。
眠れない夜を越えて、朝日が差し、おれは思う。
こんな夜と朝が初めてではないことを。
そして、これが最後なのか?と。
おれは18歳ではない。
40歳だ。
変わらなさが、驚くほど何も変わらないまま。
おれは世界一、おれっぽい。
変わりたくなかったんだろう。
そして、おれはおれのまま、自分も、まわりも、時の流れの中で、変わり続けていく。
ただ、目を逸らすことで変わっていくような変わり方は、したくなかった。
だからおれはいつまでも、こどもっぽさを手放さない。
認めたくない言葉だが、純。
18歳頃、したきりすずめのお話に、自分なら、という結論がついた。
きっとおれは好意で、スズメを助ける側の人間。それは疑わない。
でもきっと言うだろう。
「大きいつづらも小さいつづらも両方もらえませんかね?」
何が入ってるのか。
両方あけなきゃわかんないじゃない。
両方あけたいよ。
両方ほしいんだよ。
まるでこどもだ。
変わらなかった。
「どっちかしか選べないよ」
そう言われる不自由さを、おれの頭は必然と理解しても、おれの心は「そんなの不自然だもん」とはねのけた。
ときにそれが、誰かの幸福と相反する。
相反しなきゃいいのに、とは思う。でも相反する。
大切な誰か、であったときは
そのときは確実に選んだ。
おれの身勝手さを捨てる方を。
それもまた、「変わらなさ」だった。
そうやって歩いてきた旅だった。
もう、旅は終わりで、おれは変わり、変わったことで、いつか忘れるのだろうか。
仕事して、誰かのために憤ったりふんばったりして
94歳になったら、忘れるのだろうか。
ああ、話を聞いてくれる人がほしい。
それを探しに、歩きはじめる。
これは新しい旅なのか。
それとも、逃避行?
単に寄り道?
もう必要なくなって、寂しさも欲望も忘れて眠れるのなら、それはそれでいい。
変わるとき、がくるんだろ。
花に嵐のたとえもあるさ。
焼肉おごるぜ。話をしよう。
あみやき亭の平日半額キャンペーンでもいい?