ユウシの作文

それでも 私は 文章をかくんだっ 自分が生きるために!!

妄想、日々に滲む

共感を求める文章でもなく、理解してほしいとも思わず、だからといって批判もされたくなく、ただ書かずにいられなかった。書かずにいられなくて書いちまったからここに置いておく。

正解とか不正解とかいう話ではなくて。価値観の話。
妄想。

目の前に明らかな超常現象として
「はい、制限時間は30秒です!
このスイッチを押すと、○○さんの命は助かります。
そのかわりあなたは即死します。
なお、あなたの行動は○○さんには伝わりませんし、他の誰も気づきません。
ただの変死です。では、カウントダウンスタート!」
みたいなことを言う超常的存在が現れたとして。

※「○○さん」は「リアルな死と直面している大切な友人」とする

おれ押しちゃうんじゃないか、と思うんだよね。
確固たる意志をもって押すとか覚悟を決めて押すとかとはたぶんちょっと違って
「押しちゃう」っていうくらいの表現がふさわしい感じで。つい、押しちゃった、みたいな。勢いでつい、みたいな。

たぶん短いなりにいろいろは考えると思う。
ああもっといろんな女の子と遊んでおけばよかったなとか一回でいいから叙々苑に行ってみたかったなぁとかDr.STONEの最終回読みたかったなぁとか変死だとハードディスク調べたりするかな恥ずかしいけど死んでるからまあいいかなとか。30秒以内じゃその程度だろうな、自分だと。

家族のことはもちろん頭に浮かぶけどあんまり深く考えないだろうと思う。残された家族が苦労するかもとかは。改めて考えなくても、きっと本人と周囲の素晴らしい人たちがなんとかしてくれるだろうという確信的楽観がある。生きてるんだから大丈夫だろう。仕事のことも同様。

30秒じゃなくてもっと長い時間悩めるんだとしたら、正直、自分がどう判断するかわからないけど、まあ結局最後は、まあいいか!!考えるのめんどくせー!つって「押しちゃう」気がする。

それと、「即死じゃなくて、物凄い拷問を受けて苦しみぬいて死ぬ」に条件変更されたら、押さないかもしれない。おれ、昔から、一番怖いのは「拷問」だと思い続けてた。今も思う。この世で一番怖いのは拷問。だから押さない、もしくは押せないかもしれない。
そう考えるからこそ「即死?即死でいいの?じゃあ!」つって押しちゃう気がするんだよな。逆にもう、それでいいなら押さなきゃ損じゃない?くらいの。そこまでではないか…

さらに勝手に他人を巻き込んで勝手に妄想して失礼だとは思うんだけど。
たとえば橋下徹とか。ホリエモンとか。西野亮廣とか。
なんらかの、頭の良いカリスマ的存在の方々。
押さないと思うんだよ。同条件で。
(いや、勝手な妄想だよ!?知らんよ実際は!彼らのことよく知らないしさ!会ったことも話したこともない人にそんな妄想するのは失礼だってのは当然わかってる。申し訳ない。ただ、その、例え話として仮定させてくれ)
で、それは絶対に間違いでもないし恥ずかしいことでもない。
押さない、でいいと思う。心底、いいと思う。本当に心の底から。
どう考えたって押すべきじゃないだろう。押さんだろ。

なんならおれも思うもん。
生きてることが大好きだ。執着したい。
欲望と快楽が大好きだ。自分が大好きだ。自分の命が大切だ。
あと自分の頑張りや自己犠牲については、他人に知ってほしい。人知れず苦労したくない、気づいてほしい。加えて、執着はしないけどできればやっぱり褒められたい。
だから押さない。そのスイッチは押さない。

ただきっと、つい押しちゃうんだろうなと思う。

頭がいい人みたいに考えられないから。

そしてやっぱりおれにとって、憧れとか、自己満足とか、そういうものが向かう先は…タイガーマスクの最終回のような…009の6巻のような…うしおととらのジエメイのような…それにはきっと、抗えない。
(逆に言えば、橋下徹ホリエモン西野亮廣に憧れることはないだろうと思う)
そんなおれだから、きっと、つい、押しちゃうのだ。

さて、とはいえこれはただの妄想だ。
現実に、超常現象なんて起きない。
押すか押さないか、こんなことを判断せざるを得ないときは永久にやってこない。
考えても仕方ないし、いざその時が来たとしても、本当に自分が、今、想像しているように判断し行動するか、合っていると言い切れる自信も、そんなにない。全然普通にビビッて押せないかもしれない。考えた結果、押さないかもしれない。
ただの妄想だ。重要じゃない。

現実は一日一日。少しずつ。そんなドラマもないままに、でも、私は生きる。
生活して。出かけて。働いて。寝て。
ただ生きることを繰り返し、日々を重ねる。
だから思う。
私は私の価値観を全うする。
現れないスイッチを押すことはない。
ただ、そのぶんを、生きる。
日々に滲むように。なんでもない一日にわずか滲むように。
祈りのようだ。
生活と、祈り、それを繰り返す。
正解とか、不正解とかではない。
価値観の話だ。