オウム関係の7名、死刑執行。
人が人を殺す。
悪いやつだから、殺す。
そのこと自体の是非は、今、置いておいて
その過程が、映画でも小説でもないのにエンタメ化していること、それを政府が主導しマスコミが展開しているとしか思えない状況。
しっかりした理屈は思いつかないが
ものすごい違和感がある。
事前に告知して中継するように行うものだろうか。死刑とは。
誰に対してでも人が人の命を奪うのだ。
厳かになるのが必然ではないだろうか。
そんなニュースを子どもに見せたくない。
見せられない。
ロックとは問いかけである
(2018/6/9に書いた文章)
さて本日はロックの日。
最近(でもないか)と言えば
椎名林檎が「日出処」
ゆずが「ガイコクジンノトモダチ」
RADWIMPSが「HINOMARU」
こんな感じのリリースをして
それに対する解釈や
ネット右翼ネット左翼(あえてこう呼びます)の方々の反応や
そのあたりを見て自分でも色々と考えているところであります。
ロックとは何なのか
音楽の体裁としてではない「ロック」の意味は
それこそそれぞれ皆さんが持ち得てると思います。
その中で、僕にとってロックとは?
1番しっくりくるのは
「ロックとは問いかけである」
ということです。
決して答えではない。
例えば、清志郎がこう言ってるんだからこーだろ!
と言っちゃうのは、僕の中で最もロックではない在り方です。
…「ろっくでもないぜ」ってことだね(解説しとくね。ダジャレだよ。)
というわけでロックの日に
そして佐野元春が中津川ソーラーブドウカンに決定した今
こんな記事を紹介しておきます
ではおやすみなさい、ロック、最高。大好き。
RADWIMPS、HINOMARU騒動にオチ無く思う
(2018/6/15に書いた文章)
ちょっと本音のところというか思ったところなんだけど。
しかも整理されてないけどイマイチ。
ロックが好きなんだ。音楽が好きなんだよ。
だからこうなんか言いたい感じなわけ。
RADWIMPSってバンドがあることは知ってるけど、おっさんロックファンには接点がなかったんで、あんま聴くことはなかった。
「君の名は。」の主題歌で初めて歌詞を知って、
「君のいない世界など 夏休みのない 八月のよう」
って歌詞にすごい衝撃を受けて。
いやいやいやお前!
八月に夏休みがガッツリあるのは学生くらいだがや!
他の人はみんな「君のいない世界みたいな世界」に住んでるやないかい!
って面白がってツッコんでるうちに
「いや八月の価値ってなんだろう…」
「むしろ夏休み程度の『君』の価値ってなんだろう…」
とか考えちゃったりして。
そんで他の歌も聴いてたんだけど
どうやら、千葉真一ファンが聴くタイプのバンドではなかったみたいでした。
ジャンル的に「未練たらたらソング」というか。
俺みたいなゴリラには必要のない歌たちだったのです。
これはファンの人をバカにするつもりじゃ、決してない、単に好みの問題なので!
歌ってる本人も未練たらたらだなーとか弱いなぁ俺とかそう思ってただろうし
聴いてる人もそこに共感して「いい」って言ってるわけだからそれでいいわけで。
趣味が合わない人が文句を言う筋合い、無いわけ。
そこにきてHINOMARU騒動ですよ。
歌詞の内容は、別に目くじら立てんでもというか
いやだなと思う人は「センスねえな」とか「ダッセー」とか「軍歌みたい」とか思ったなら、それにとどめておけばいいのに「廃盤にしろ」とか「歌うな」とか「抗議しよう」とかまで言い始めるからおかしくなる。
そんで本人もな、釈明して謝罪して
なのにライブでHINOMARU歌って「自分の国が好きでなにが悪い!」とか叫んで
ファンは「やっぱRAD最高!」みたいな
なんだろう全部違和感。
ホントに全部違和感!!
まず本人たちには「なら謝んなよ!!!!」って5-60回くらい言いたい。
僕はいわゆる普通のおっさんのロックファンなので、忌野清志郎の事は死ぬほど大好きなんだけど、
TIMERSのとき、94年かな?松本サリン事件が起きて地下鉄サリン事件が起きる前くらいのとき、「サリン」なんて歌をライブで歌っていて
その歌の一部は、当時犯人と疑われた無罪の河野さんのことを犯人として歌ってるような歌詞で
これはあとから振り返ると完全に間違いだし、「やっちまったな清志郎」なわけです。
そんな清志郎、これはうろ覚えで正確じゃないんだけど
当時インタビューかなんか?で
「間違えましたよね、犯人は河野さんじゃないですよ」
って感じで痛いところを突かれたんだけど
清志郎の答えは
「いいんだ!ロックなんだからよ!」
これで終わり。謝罪なし。
それはそれで、俺としては「いやそこは謝ってもよくねぇか」と思ったんだけど
多分清志郎にとってそんなことはかまわないというか
清志郎にとって清志郎であるってことは
「誰かを傷つけずに歌おう」なんて話じゃないというか
おれは清志郎じゃないから分からないけど
「歌ったことについて謝るとか謝らないとかじゃねーよ」って思ってるのはなんとなくわかった。
まあざっくりといえば
あんま極端な例じゃない限り
それがそいつの表現なんだからいいじゃないかと思うなぁ。
なのにあんまり責められるから?
釈明して謝罪して
そのくせ「自分の国が好きでなにが悪い!」ってライブで絶叫って。
じゃあ、謝らなきゃいいのに!
もしくは謝ったなら歌わなきゃいいのに!
自分の国、好きでいいよ、別に悪くないわ!好きにしろ!!
悪くないんだから、そもそも謝るなよ!
謝ってから「先生に謝罪させられた子が、あとから『わかってもらえない被害者』ポジションで逆ギレ」みたいな違和感。
(でも、RADの従来の歌詞からするとその未練たらしい感じはむしろ違和感なしというモヤモヤ感)
いわゆる左翼とかリベラルとかパヨクとか呼ばれる人の、いちいち目くじら立ててギャーギャーうるせーのも違和感。
正直な気持ち「うるせーんだよ!!!どうでもいいわ!」って感じでして。
んでそれに対する右翼とかネトウヨとかいわれる人の「売られたケンカ買いますよ、バカにされたらバカにしかえしますよ」的な反応も違和感。
でも今回は左翼方向の人の愚かさの方が目立つ。
RADファンは「サヨク?なんか嫌な感じ」って思うだけなんじゃねーかな。
なんかイデオロギーの対立みたいな
そもそも「いいか悪いか賛成か反対か」の単純な二元論にばっかりなるような。
自分の国が好きでいいよ。でも好きでなくてもいいよ。
日の丸が好きでもいいよ。好きでなくてもいいよ。
だからさ、いちいち対立構造作らんでいいやん。
「むしろ、今この国で『自分の国が好き』って言える方がロック」みたいな意見あったけど、それもおいおいおいおいおい。
「反主流こそがロック」って意味でも、保守政権が長期にわたってる国でその文脈にはならんし、そもそもロックってそういうもんだと思えない。
自由なのがロックじゃない?
それは「どう歌ってもいいしどう聞いてもいい」ってことじゃない?
ロックであるかどうかってのは「やり方」によるのであって
「歌っている内容」によって定められたりせん、と、俺は思うぜ?
釈明して謝罪して歌うようなやり方がロックなのかどうかを判断するのもその人次第、自由だしな。
なんか話、それたかな?
いや一番の違和感はね、自分の言いたいことを、対立構造で言わなくてもいいじゃん。
責めなくていいじゃん。
余計、溝が深まる。
北風が吹いたらコート着る。
これを忘れないようにしたい。
コート脱がすのは太陽っしょ。
杉浦太陽の話じゃないよ。
あーもう炎上とか嫌い。一番嫌い。
集団の圧力とか同調の圧力とか一番嫌い。
でも言いたいことは言いたいしな。
それが結局対立になることもあるしな。
あーモヤモヤする。
だから言わないって選択肢も、なぁ。
結局俺もこうやって言いたいから文章にしてるわけだし。
好きとか嫌いとかで言えばいいのに。
禁止とか抗議とか。はぁ。
どーすりゃよかったんかな!!!
(オチ無し)
他人の人生
突然ブログをはじめてみた。
大学生のときや独身のころはよく書いたものだなぁと思う。
今更だけど、やっぱり文章を書くのが好きなんだな。
社会的立場や仕事を離れたところで文章を書きたくなったんだ。
いつまで続くのかわからないしそもそも誰が読むのかもわからないけど
思い立ったらはじめてみよう。
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日本とポーランドがワールドカップで戦って最後10分間のプレー内容がどうだこうだと言われている
…ってのを昨日知った。
そのくらいサッカーに興味がないのだ。あと家にテレビがないのだ。
なのでプレーに一家言もないのだけど、逆に言うと「なんでそんなに一家言ある人が多いんだ?」という感じがする。
すごい単純に思う。
「他人の決定なんだから尊重すればいいんじゃないだろうか」
ワールドカップに出ている日本代表だからといって
別に僕の代わりに戦っているわけでもない。
日本人の代わりだとも思わない。
彼らは彼らの人生を生きていて
彼らは彼らの思いがある。
そして言うまでもなく「彼ら」は一人ひとりの集合だ。
それを応援したい人は勝手に応援してもいいし感動してもいいと思う。
感動しなかったり呆れ返ってもいいと思う。
それは感情だ。
それは個人の主観や価値観による感情であって、それ以上でも以下でもない。
感情を書いてもいいが、それは個人の感情であるってことを、表現する個人にはわかっていてほしいなと思う。
僕がどう感じたかは別にして、彼らの決定は彼らの決定だ。それ自体は尊重するほかない。
少なくと犯罪的であったりあまりにも非道徳的であったりしない限り、
他人の人生で他人が決定したことに、安易に「こうするべきだった!」とか「日本の恥」とかいうのは、わからない。
そもそも「代表」っていう表現がおかしいんじゃないか、と思った。
日本代表。
うん、違和感。
日本選抜かもしれないが日本代表ではない。
「代わりに表している」と潜在的に思うから、わけのわからぬ感情を抱くのだ、他人の人生に。
他人の人生。
それを愛せるかどうかは、人それぞれ。
ただ、尊重はしよう。
「みんな違ってみんないい」んじゃないのか。
ちなみに僕はワールドカップが始まってすぐ「最強伝説 黒沢」の1巻を読みなおしたよ。
みんなにもおすすめする!!
ビバ、俺の人生。