ユウシの作文

それでも 私は 文章をかくんだっ 自分が生きるために!!

星野源「ドラえもん」に思う。

(だいぶ前、映画「ドラえもん のび太の宝島」公開当時の文章です。ほんのちょっとですが映画ドラえもんのネタバレを含むので注意してください)

ぼくは昔から根が素直というか単純な男でして。
ドラえもん映画「のび太の宝島」を見て面白かったので、すっかり気にいって、星野源が歌う主題歌「ドラえもん」CDを買ったわけです。
そんで何回も何回も聴いているのですが、ふと、みんなこの曲のこと、どう思ってるんだろうな、とtwitterで検索してみると(現代的だろ!)、いろいろな意見がつぶやかれており、いちいち面白かったわけです。
どれもその人の「ただしい見方」ってやつだ。
なので、僕も思ったことを書いてみたいと思います。
もちろん長いです。僕の文章ですからね!!!
この思いはつぶやきには収まらねえんだよっ!!!
えーと、まだ聴いてないって人は、聴いてから読んでください。
ワケわからないと思います。

全体の総評としてですが、まず他者の考察で面白かったのが、tkom_Jackyさんという方が書いてみえた以下のツイート。
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大人ってのは「部外者」のことをさすと思うんですよね。武者小路実篤の「仲良きことは美しきかな」について橋本治さんが、「仲良きことは、楽しい!」だろ、とツッコミを入れていた。当事者は「楽しい」だけなのに、勝手に「美しい」にしちゃうのは部外者。星野源さんの『ドラえもん』は部外者の目線。
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なるほどというか、それもわかる、という感じ。

そこを踏まえたうえで自分なりに言葉にしてみたんですが、つまりこれは、「星野源の歌」だなと思いました。「星野源からドラえもん(藤子先生)へのラブソング」です。
物語の外にいる星野源、そして私たち。部外者と言えば部外者だ。
だけど部外者、というにはふさわしくないほどの愛。
ファンでもないからよく知らないんですが、きっと星野源さん、ドラえもんや藤子先生が大好きなんでしょうね。めちゃくちゃ伝わりました。
物語の内側にある者の心理に沿った、または描写した歌(旧ドラ映画の武田鉄也の歌をイメージしてもらえばいいかと。あれらもまた大傑作)ではなく、物語を愛するものの視点によるラブソング。
この歌をいいと思うものは、星野源と同じ視点で、いい、と思うのだ。

なお映画冒頭で、のび太が「ドラえもーん!」と叫ぶところで「あ、主題歌くるぞ」と思ったんですが、流れないんですよね。
(OP曲がない、というのは、ドラえもん映画では異質です)
この歌、エンドロールで流れるんです。
それは、よく考えればすごく分かります。だってこの歌は、この映画のOPには向いていない。そして子ども向きとも言いづらい。
いや、すごくいい歌だと思う。素晴らしいポップス。何度も聴きたくなる。メロディもいい。歌詞も後述するが、すごく凝っている。だけど、それはどちらかといえばみんな大人向きだ。
僕は音楽の理屈なんて分からないから感覚的なものだけど、イントロは古っぽい和っぽい雰囲気で、子どもは好みそうだ。四拍子も分かりやすい。でも、その後のメロディや歌唱は子どもには結構難しい。サビの「どどどどどどどどどドラえもん」だって、実はなかなかリズム感がないと歌えない。テレビ版エンディングにも採用されているようで、子どもたちからちょくちょく聴くが、みんなバラバラな歌い方をしている。それはそれで面白いのだが。
歌詞も難しい言葉がわりと多いのと、「大人で今までドラえもんを見ていた人にならわかる」みたいな表現がたくさん。あ、メロディでも、あの間奏の「ぼくドラえもん」なんかまさにそういう感じですね。そこがいいと言えばいいのですが、子どもには分かりづらいでしょう。
ただ、子どもってなにが気に入るかわからないですからね。全然意味なんてわからなくても好きな歌なんてたくさんあります。だからこの歌の場合、歌詞というより、「歌いにくさ」が子ども向けじゃない感じがするのかな。
で、映画のオープニングには全く不向き。エンディングには合う。そんな感じです。

そして歌詞を考察したいと思います。
まず全部、文字で読んでみましょう。

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少しだけ不思議な 普段のお話
指先と机の間 二次元

落ちこぼれた君も 出来すぎあの子も
同じ雲の下で 暮らした次元 そこに四次元

機械だって 涙を流して
震えながら 勇気を叫ぶだろう

だから ここにおいでよ
一緒に冒険しよう
何者でもなくても 世界を救おう
いつか 時が流れて
必ず辿り着くから
君に会えるよ
どどどどどどどどど
ドラえもん

中越しの過去と 輝く未来を
赤い血の流れる 今で繋ごう
僕ら繋ごう

拗ねた君も 静かなあの子も
彼の歌も 誰かを救うだろう

だから ここにおいでよ
一緒に冒険しよう
何者でもなくても 世界を救おう
いつか 時が流れて
必ず辿り着くから
君に会えるよ
どどどどどどどどど
ドラえもん

台風だって 心を痛めて
愛を込めて さよならするだろう

君が遺したもの 探し続けること
浮かぶ空想から また未来が生まれる

ここにおいでよ
一緒に冒険しよう
何者でもなくても 世界を救おう
いつか 時が流れて
必ず辿り着くから
君をつくるよ
どどどどどどどどど
ドラえもん
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でも本当は歌詞というのはメロディにリズムに乗ってこそのものなので、文字だけで見てもピンときませんね。と言っても仕方ないんで少しずつ見ていきます。

「少しだけ不思議な 普段のお話」
この出だしで藤子ファンは嬉しくなっちゃいます。藤子先生は自分の作品を「SF(すこし・ふしぎ)」と呼んでいました。普段のお話、という歌詞もよくわかる。藤子先生は日常、もしくは日常感覚から逸脱しない世界から生まれる少しの非日常(から生まれるなにか)、まさに少し不思議の世界を描いていましたから。

「指先と机の間 二次元」
指先、って子どもの語彙にはあまりない言葉な気がする。
この歌詞から藤子先生を連想しないホモサピエンスはいるのでしょうか?いやいない。(断言)
指先と机の間のマンガ本を連想してもいいんだぜ。

「落ちこぼれた君も 出来すぎあの子も
同じ雲の下で 暮らした次元 そこに四次元」
のび太出来杉を連想しないホモサピエンスはいるのでしょうか?いやいない。(断言)
出来杉って劇場版にはかなりの確率で登場するんですよね。冒険には行かないけど・・・彼がいたら、彼がひみつ道具を効率よく駆使して解決しちゃうもんね。そりゃそうだ。刃牙で全試合、範馬勇次郎が戦うようなもんだ。勝ちが見えてる勝負なんて面白くもなんともない。
話それたけど、いろんなヤツがいる日常。そこに四次元、のところで、ドラえもんとの出会いを思い浮かべる。いい歌詞じゃねえか。

「機械だって 涙を流して 
震えながら 勇気を叫ぶだろう」
人によると思うけど、なに連想した?ドラえもん
おれは「バギーちゃん」なんだけどってかこの歌詞バギーちゃんしか思い浮かべらんねぇ!「のび太の海底鬼岩城」は僕が生まれて初めて買ってもらったマンガ単行本です。思い入れが半端じゃない。400回くらいは読んだんじゃないかな。ボロボロになりすぎて捨てられました。だからここはバギーちゃんで決定です。異論は認めるが揺るがない。

「だから ここにおいでよ
一緒に冒険しよう
何者でもなくても 世界を救おう
いつか 時が流れて
必ず辿り着くから
君に会えるよ
どどどどどどどどど
ドラえもん
これって誰視点なんだと思います?僕は「星野源視点」、「聴いてる人視点」だと思います。
のび太ドラえもんに、ここにきてほしくて一緒に冒険したい。そしてしている。
マンガ読んでるおれも、映画見ているおれも、一緒に冒険したもん。確かにしてた。間違いない。
あとこれ特にめっちゃ個人の感じ方なんだけど、「いつか 時が流れて 必ず辿り着くから 君に会えるよ」の「君」はもちろんドラえもんであると同時に、「藤子先生」を連想してしまって泣けちゃう。ストレートにはそんな歌詞じゃないんだけど、冒頭Aメロから藤子先生を意識させられたからここで藤子先生を連想しちゃうようになってる俺の中では。狙って作ったんなら星野源は天才的俺キラー。

「背中越しの過去と 輝く未来を
赤い血の流れる 今で繋ごう
僕ら繋ごう」
子どもには多分つかみづらい歌詞の部分。
重ねて連想できる。
「おばあちゃんの思い出」でおばあちゃんに背負われていたのび太の過去。「結婚前夜」で描かれたのび太の未来。
今の僕世代の、ドラえもんに夢中だった子どものころと、生活にあふれる今という現実、まだ見ぬ希望に満ちた未来。
ドラえもんの世界を歌っていると同時に僕の世界を歌っている。

「拗ねた君も 静かなあの子も
彼の歌も 誰かを救うだろう」
スネ夫、しずかちゃん、ジャイアンを連想しないホモサピエンスはいるのでしょうか?いやいない。(断言)
同時に「いろいろな個性があるけど、誰もが誰かを救う」とも。

「台風だって 心を痛めて
愛を込めて さよならするだろう」
出たこれ。予告編とかで1番しか聴いてなかったから、CDでここ聴いてボロボロ泣いた。
ドラえもん大好きな人じゃないと、唐突に台風って言われても意味もわからんと思うけど、マンガを、6巻を繰り返し読んだ人なら、誰でも、連想するのは「台風のフー子」以外ありえない。
おれはもうこれ脳のバグかな?って思うくらい、フー子についてはフー子って聞いただけで涙腺開放状態になってしまう。フー子のことを考えたりマンガのコマ思い出したり誰かに聞いただけで感動のスイッチが入ってしまう。病気に近いと自分でも思う。

「君が遺したもの 探し続けること
浮かぶ空想から また未来が生まれる」
もう言わなくてもわかると思うけど、「君」はドラえもんであり藤子先生だ。
どちらにせよ、歌の主体はのび太たちではないのは明白じゃない?
ドラえもんと別れてないもん。
ドラえもんだった場合、すでに大人であるおれが、過去ドラえもんに遺してもらったものを探し…となるし、藤子先生だった場合、藤子先生が遺した…となる。浮かぶ空想から また未来が生まれる、は、藤子先生亡きあとのオリジナル作品のことも連想できる。
そう、藤子先生が描いてないドラえもんが、生まれてるんだよ。

「ここにおいでよ
一緒に冒険しよう
何者でもなくても 世界を救おう
いつか 時が流れて
必ず辿り着くから
君をつくるよ
どどどどどどどどど
ドラえもん
君に会えるよ、から君をつくるよ、に。
いつか未来に辿り着き、本当にドラえもんをつくってみせるとも読める。ドラえもんが実在する未来、希望あふれる未来に辿り着きたいんだとも。
だけど、この視点が「星野源、もしくはドラえもん大好きな僕たち」目線とすると、「いつか、時が流れて、藤子先生が立っていた創作の地点に辿り着く、そして新しいドラえもんをつくるよ」とも感じさせる。
そうなると、このサビの部分は連続して「藤子先生亡きあとの今のドラえもん」へのエール、全肯定とも感じられるってわけだ。

僕の主観での星野源の歌詞考察。いかがでしたでしょうか。
考えすぎだよとか思う?
いやね、考えてないの。
感じたんだよ!
そう!
感じたことを一生懸命、文字にしたってだけなんだよ!
ていうか、いいんだ、どんな妄想しても。
自由だ。
そう、星野源もそうなんだよ。
ここが重要なところで。

この歌詞の
「機械だって 涙を流して 
震えながら 勇気を叫ぶだろう」
「台風だって 心を痛めて
愛を込めて さよならするだろう」
これがバギーちゃんとフー子を指しているって事は異論なし確定ってことにしていただきまして。
その上で、ですが、「こんなシーンない」んですよ。
のび太の海底鬼岩城」で、バギーちゃんが涙を流して震えながら勇気を叫ぶシーンなんて、原作にはない。
てんとう虫コミックス6巻で、フー子が心を痛めて愛を込めてさよならするシーンも、ないんです。
でも。
これはバギーちゃんとフー子で間違いないんです。
それしか連想できないんです。
そんなシーンないけど、「バギーとフー子はそうした」んです。
おれにはわかるんだよ!

…何言ってんだこの人、って思うかもしれないけど、わかるだろう?
あなたがドラえもん大好きで、このふたつの話をずいぶん読み込んでいるのなら…共感するかしないかは別として、おれの言ってることが、わかるだろう??

古いマンガの、そして藤子先生のなにが好きかって、「全部描かない所」だ。
当時の制約が生み出した偶然かもしれないけど、藤子先生は、全部描かない。
登場人物の心理を文字にして絵にして全部説明するような下品な真似はしない。
最近のマンガも大好きだ。
でも、描きすぎじゃないの?って思うことは、多々ある。
古いマンガには、「行間」がある。
直接描かれない、コマとコマの間があるんだ。
特に藤子先生はあっさりしている。別れのシーンですら数コマだ。
でも、そこには読むものの心をグッと捉えて放さない余韻がある。
そこに、言ったら、妄想の入る余地が、ちゃんと、とってある。
だから、星野源は妄想できる。無いシーンを歌にしたのは、「わかっててそうした」に違いない。だから、「~するだろう」という語尾なのかもしれない。
涙を流して震えながら勇気を叫ぶバギーちゃんも、心を痛めて愛を込めてさよならするフー子も、彼には見えたのだろう。「彼にはそう見えた」と言うべきかもしれない。
そして、僕にも星野源の歌を通して、それが見えたのだ。
わかるのだ。バギーちゃんやフー子の心が。

この歌は、星野源の、完璧に私的なラブソングだ。
その思いに共感するかどうかは、その人次第だが、おれは、感動した。
グッときてしまった。
そもそも、全ての歌はラブソングと言っていいのかもしれないし、ラブソングってのはどれも私的なもんなのだろう。
それに、共感する人が勝手に共感して感動する、そういうものなのかもしれない。
おれはドラえもんが好きだ。藤子先生が好きだ。
わかるぞ、おれもなんだ!

妄想、という言葉を使った。これは空想という言葉で歌詞に登場する。
「君が遺したもの 探し続けること
浮かぶ空想から また未来が生まれる」
そう、もう生まれているんだ。
藤子先生が描いていないドラえもんが。
一作一作、誰かの愛が、ドラえもんへの愛が、藤子先生への愛が、思いを込めて、力を入れて、生み出している。
藤子先生が描いていない「余白」、そこに確かに見えるドラえもんを、描き出している。
浮かぶ空想から、未来が生まれているんだ。

まったくみんな、ドラえもんが、藤子先生が大好きだね。
天国なんてものがあるんなら…そこのラジオでも、かかっているといい。この曲が。
それは、ぼくにとっても、嬉しいことだ。

https://www.youtube.com/watch?v=oEjDsWU8u0c