ユウシの作文

それでも 私は 文章をかくんだっ 自分が生きるために!!

マクドナルド

例えば、「マクドナルドなんて不味い」って平気では言えないんだな、俺は。

ジャンクフード、添加物が、カロリーが。そういうことじゃなくて。

俺は恵まれた国の恵まれた家庭に生まれ恵まれた育ちをしただけだ。
中学生の頃、戦場ジャーナリストの写真を見て気づいた。俺が幸せなのはたまたまだって。

マクドナルドを食えない人間は世界に山ほどいる。
栄養が偏って体に悪いジャンクフードを食うことができずに飢える人間が。

だからって俺は自分の欲望を肯定する。
置かれてる立場に関わらず人は欲望を持つ。
希望と言い換えても構わない。

でもよせめて品を失いたくない。
自分と世界への抵抗だ。
パンクロック。行き着く先は、自分。
クソッタレだけど優しいんだよ。

品を失うな。
だから旅をする。
愛するためにだ。
品は、愛から生まれる。
俺はインドに生まれなかったからインド人じゃなかった。
インド人かもしれなかっただろ?
インド人を愛するためにインドに行く。
あの野郎、クソッタレ、と思いながら牛の糞を踏む。
でも俺があいつだったかもしれんしな。
俺がインドでサギしなきゃ生きていけないところに生まれなかっただけでな。
俺の旅は、味わって、愛することだから
高級なホテルや快適な移動はいらない。

今は日本を旅してる。
愛するためにだ。
マクドナルド、じゅうぶん美味しいよ。
もっと美味いものがどれだけあっても。
俺は幸せだ。幸せを感じることができるからだ。 

大丈夫。俺は生きてる。

半分で歩く

いつもの山を歩いていた。

ふと思い出した。

もう何年前だろう。10年くらい前だろうか。

仲間たちと、山中の、誰も通らぬ道なき道を歩いていて

そのうちのふたりは、仲睦まじくつきあっていた。

おれたちは、誰がやったのか、倒れていた木にナイフで相合傘を描いた。

つきあっているふたりの名前を刻んだ。

本人たちは、ただはにかむのみ。

かわいい悪戯だ。

ちょっと茶化したかっただけの。

 

あの木は、あの相合傘は、まだ刻まれたまま残っているのだろうか。

きっと、あの山のどこかで、まだ残っている気がする。

もう場所も忘れてしまった。

 

ふたりはその後、別れ、別れきれず、しかし別れ、今は別々の人と結婚した。

それぞれ、幸せそうに暮らしている。

そしてふたりは今もまだ、仲良しだ。

 

相合傘、その祈りのような、小さな夢のようなものは、叶ったのだろうか。

 

歩きながら、思った。

夢は、だいたい半分、叶う。

ずっといっしょにはいられなかった。

でも、今も仲良くいつづけている。

 

夢は、だいたい半分、叶う。

それを絶望とは思わない。

希望と抱いて、今日も山を歩く。

 

いちどだけ

おれは今に生きている。
過去に戻りたいなんて思うことはない。
実際には悩むかもしれないけどな。「戻してあげようか?」と言われたらな。
でも、戻れないんだから、戻りたいとも思わない。
そんなことより、今だ。
今最大の楽しみを。生きているってことの最高の喜びを欲望を幸せを。

だけど、「過去」をひとたび思うと、とたんに胸が苦しくなる。
だから、そういう時はとっさに、エロいこととか考えて、逃げる。
思い出さないようにする。考えないようにする。逃げる。

例えば大学生なら。
あの夏の日、一人暮らしの部屋で、とか。
プリントゴッコでTシャツにプリントしまくって、Tシャツだらけになった床とか。
部活のほら、キャンプしたとことか
八王子の、west:codeのVJブース。バックヤードのビール。
あーだめだ。例を出そうと少し思い出すだけで苦しい。
忘れよう。エロいことエロいこと…


なんで自分はこうなのか、と考える。
過去なんてもう戻れないんだから無価値だろ。
苦しくなる必要ないだろ。
今に生きろよ。
「今」だけでいいだろ。
もう考えるな。

ずっとそう言い聞かせてきたけど、やっぱ無理。

過去を思うと即座に胸が苦しくなるのは、絶対戻れないからだな。


未来はわからないじゃん。
なにが起こるのか、まだ。
わかんないことに、不安はさらさら、ない。
テキトーな性格だ。
いつか死ぬ…とか思ってたら、500歳まで生きられる技術が誕生するかも。
2年後、剛力アヤメ(字も知らない)とつきあってるかもしれない。
トマト農園で働いてるかもしれないしさ
大学生くらいの愛人と東南アジアでリゾートホテルに泊まってるかもしれないじゃん。

わからないけど、絶対たどりつくよ、未来は。
死んだら終わりだから考える必要もないしさ。
絶対たどり着くんだから楽観的だ。
楽しみじゃねーか。
きっと楽しい日々だ。


でも過去はな。
どれだけ楽しかったことも。苦しかったことも。
絶対二度とたどり着けない。


ああこの胸の苦しさがおれの生きてきた熱量、価値、誰にもわからぬおれだけのもの。
それだけ過去は素晴らしかった。
今がどれだけ素晴らしくても
おれの生きてきた過去の素晴らしさは変わらない、永遠。


苦しくない人生が欲しいか?
イヤなこった。
苦しみと、対になった喜び、楽しみ
例えば恋のような
凪いでない空、焼ける夏の日差し
全部味わって、苦しさも喜びも
「なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ
なるべくいいっぱい集めよう そんな気持ちわかるでしょ?」
そう生きてきたから、今、苦しい

選んできた。おれが。おれの意思で。

過去には戻れない。
その一点だけで胸が締めつけられる。

そして今日もエロいことを考えて、生きていく。

羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。
つまり、レッツゴー。

 

 

寄り道

楽しい旅だったか?
と問われたら、もちろん、楽しい旅だったよ、と答えるだろう。
しかしもしも、楽しめたか?と問われたのなら、首を縦には振れない。
そんな旅だった。

初めての場所、美しい景色、食べたことのない食事。
それは、ずっと心に重く苦しく現れるたくさんの感情を消し得ない。

オートバイで走りながら、頭上の大きなオリオン座に気づいた。
街灯のない道の星空。

この景色を見せたい、そう思っても、この街にもう二度と来ることはないのだろうな。
奇岩に挟まれた道を走りながら、二度と戻らない人生を思う。

楽しかった記憶。
訪れた場所。
共有した経験。

一方通行の生命は、だからかけがえがなく、だから失敗という概念をもたないはずだ。
後悔なんてあろうはずがない。
ただ、切なくなるだけだ。
寂しくなるだけだ。
それを埋め合わせる楽しさは、おそらく存在しない。
切なさも寂しさも、100%の純度で、ただ受け入れるだけだ。

あらゆる方角から騒がしい音楽が響き、酒に酔った色々な言語が行き交う繁華街で、なぜか死んだ祖父母を思い出していた。
「人間てのは、本当にどうしようもない」と口にしながら、それでも人間を愛していたに違いない祖父だった。
この街では酒とご馳走が余り漏れながら浪費される。少しの金で明るく楽しい女の体と時間が買える。
道を歩きながら、いつか死ぬ日のことを考える。

帰りの飛行機が墜ちたら。
別に構わない気がする。
やりたかったことも行きたかった場所もまだまだある。
それでも、いまこの人生が終わることに悔しさはない気がする。
当然のことのように感じる。
そんな感性に、旅の同行者や飛行機の同乗者を巻き込んじゃいけないのだが。
おれは人を傷つけて生きてきた。
ただその理由だけで、死は妥当だ。

それでも飛行機は堕ちないだろう。
だから人生は続く。続きやがる。
なら、今しかない。

今しかないから、旅を続ける。

さあ、どこに向かおうか。
死という最後のゴールまで、たくさん、たくさん、寄り道を。
なるべくまっすぐ行かないように。
オートバイも、心も、ゆれながら、別れながら、忘れながら、大切な荷物を抱えて進む。

二度と戻らない美しい日々よ。苦しい日々よ。
さようなら。
またいつか。

夜に走る

悩みはそのうち飛んでって消えちまう。

 

おれの体が、そのうち魂を失って、灰になるか、風になるか、飛んでって消えちまうように。

 

「これでいいのだ」

 

それでも。それだから。
今、悩む。今、生きてるから。今、必要だから。

 

これでいいのだ。

 

今夜も走る。
5キロを超えたところだ。
今夜も走る。
悩みながらでも、人は走れる。おれは走れる。

 

足りないことは何もない。


これでいいのだ。

 

夜に走る。

 

子守唄

たとえば6、7年くらい前のおれが今のおれを見たら、きっと笑うだろう。

過去に笑われるようなことはなにもないがね。

おれは、今のおれが好きだ。

 

鏡に映る自分を見る。

白髪が増えた。

歳を重ねた自分を、嫌いではない。

なかなかシブいやん。白髪ごと、ゴムで束ねる。

 

祖父母の遺影が職場に飾られた。

それを見て思う。

ぼくが大好きだった祖父母は、もういないんだと。

その体は燃えてしまった。

 

おれはなにをそうがんばってるのか。

我慢してるのか。

何年か前のおれが見たら、きっと笑うだろう。

どうせ燃える体だろ?

 

ありきたりの幸せなんかいらなかった。

カタにはまった幸せ。

じゃあ何が欲しかった?

 

大丈夫だ。

必ず、全部失う。

だってその体は、いつか燃えてしまうんだから。

 

だから安心して生きたらいい。

残るものも全部燃える。

一瞬の幸せを超えるものはない。

後悔は全て錯覚だ。

目をつぶって、言い聞かせるように眠る。

まるで子守唄だ。

 

遠く、ばあちゃんの声で歌われている。

ああ、まだ燃えてないのかな。

 

吐き気がするほどロマンチックだぜ

めったにない、眠れない夜をなんとかやり過ごす。
時計の秒針は、毎夜こんな長いあいだ動き続けるんだな、と思う。
何も考えたくないはずの頭が、単三電池一本でなんとたくましい、なんて考え始めている。

眠れない夜を越えて、朝日が差し、おれは思う。
こんな夜と朝が初めてではないことを。
そして、これが最後なのか?と。

おれは18歳ではない。
40歳だ。

変わらなさが、驚くほど何も変わらないまま。
おれは世界一、おれっぽい。
変わりたくなかったんだろう。
そして、おれはおれのまま、自分も、まわりも、時の流れの中で、変わり続けていく。
ただ、目を逸らすことで変わっていくような変わり方は、したくなかった。
だからおれはいつまでも、こどもっぽさを手放さない。
認めたくない言葉だが、純。

18歳頃、したきりすずめのお話に、自分なら、という結論がついた。
きっとおれは好意で、スズメを助ける側の人間。それは疑わない。
でもきっと言うだろう。
「大きいつづらも小さいつづらも両方もらえませんかね?」

何が入ってるのか。
両方あけなきゃわかんないじゃない。
両方あけたいよ。
両方ほしいんだよ。

まるでこどもだ。

変わらなかった。
「どっちかしか選べないよ」
そう言われる不自由さを、おれの頭は必然と理解しても、おれの心は「そんなの不自然だもん」とはねのけた。

ときにそれが、誰かの幸福と相反する。
相反しなきゃいいのに、とは思う。でも相反する。
大切な誰か、であったときは
そのときは確実に選んだ。
おれの身勝手さを捨てる方を。
それもまた、「変わらなさ」だった。

そうやって歩いてきた旅だった。
もう、旅は終わりで、おれは変わり、変わったことで、いつか忘れるのだろうか。
仕事して、誰かのために憤ったりふんばったりして
94歳になったら、忘れるのだろうか。

ああ、話を聞いてくれる人がほしい。
それを探しに、歩きはじめる。
これは新しい旅なのか。
それとも、逃避行?
単に寄り道?
もう必要なくなって、寂しさも欲望も忘れて眠れるのなら、それはそれでいい。
変わるとき、がくるんだろ。
花に嵐のたとえもあるさ。

焼肉おごるぜ。話をしよう。
あみやき亭の平日半額キャンペーンでもいい?