ユウシの作文

それでも 私は 文章をかくんだっ 自分が生きるために!!

夜中のうちに書いちゃえ

メンタルがやられている、そんな風に感じるときは気をつけろ。
それは、ただお腹が減っているだけかもしれない。
あったくして、お腹を満たせば解決するかもしれない。

と、そんなふうなことを羽海野チカ先生が言っていたような気がする。

よし、では食おう。
というわけで親子丼を食べてみた。
おいしかった。
だけど心のうちはまだまだどんよりしている気がする。
しかしさっきよりどんよりの重みが減った気もする。

効果あり。としていいだろ、これは!
しかし食欲はもう満たしてしまった。

なので酒を呑んでみた。
甘いのを、と思い、カルーア抹茶ミルクをつくって呑んでみた。
少し和風の岡村靖幸だ。いや、洋風の岡村靖幸てのも想像つきにくいが。
とりあえず電話なんかやめてさあ六本木で会おうよくらいの気持ちにはなってきた。
でも残念ながらここは愛知県。六本木はない。
東京に家など建てれないバカ高い。
そんな感じ。やはり気分はまだ上がらない。足りない。

こういう場合はどうするか考えたが、どう考えても、あとはもう方法はひとつしかない気がする。
方法はシンプルな方がいいに決まってる。

というわけでだ。
恥ずかしながら納戸の奥から、数年前買ったTENGAを出してみた。
これでさらに楽になるのか。
ホップ・ステップ・ジャンプ!てな具合におれの気分は上がっていくのか。
ホップ・ステップ・あっ足の小指打った…みたいな痛感がやってくるのか。
とりあえず試してみよう、と思い、しばらく有酸素運動を嗜んでみた。

結果を報告したほうがいいだろうか?
とりあえず「よくわからん」て感じ。
でもなんかいい気がする。よくなった気がする。

んじゃまあ、あとは、寝るか。
睡眠欲睡眠欲。
おやすみなさい。

味気ないじゃない。毎日書こうよ、なんでもいいからさ!(カイジの沼川さん風に)

誰でもけっこうあるんじゃないかな。

「最初に思いついたことから抜けられない」

あの人はなんか嫌だ、とか

こういうことは自分にはやれない、とか

あるときふっと楽になれる、(ということ自体に気づく)

ああ、そうと決まったわけじゃない、と。

 

人間なんてもともと悪意だらけじゃないか、嫉妬ねたみ人をバカにしたい

そこで匿名なら

顔出さないんだし

だったらストレス解消

悪意こそ本音

きれいごとの反対側にしか本音がないような

ネットはそういう勘違いと呼応する。

いつしか、「悪意こそエンターテイメントだ」と、流儀ができたようだ

 

クソくらえだ。

犬のクソを踏んだ靴の裏をわざわざ見せつけられるのは

最初こそ刺激的だったかもしれないが

ずっと続く楽しみにはなりえない。

 

おれは欲張りだからもっと面白いものがほしい。

それはむしろ善性の中にある。

悪意で終わるな。悪意なんて前提だろう。

人間は汚い、だからその先を頼む。

恋と同じだ。

 

クソくらえだぜ。

 

リアムの全肯定

2018.9.17

リアム・ギャラガー
なんと!

豊田市民文化会館ライブ!

行ってきました。

なんで名古屋じゃなく豊田なの。

僕のためですね。

お越しいただくんですからお迎えしないと。

 

中学校の合唱コンクールとかやりそうな会場で、リアム。

こんなとこにお客さん来るのかな、おれのまわりでオアシス好きなの俺しかいねえけど大丈夫かな。

大丈夫に決まってました。駐車場いっぱいでした、SOLDOUTでした、そりゃそうだよな。理屈ではわかってるんだけど、なんでおれは友達とオアシスの話できないの友達いないからかそうか納得

 

結論から申し上げると最高でした。
コンディションにブレがあると定評のリアムですが
今夜の声はまさにリアム。
「あの」リアムの声でした。
去年のサマソニより良かった…!

安いA席でしたが
ライブ80分で終わっちゃいましたが
17曲
初期oasis曲を予想外なくらいブチ込むセットリスト。

最高でした。

特に、ピアノ1台だけをバックに歌いきったchampagne supernova
あとwhatever
live forever
wonderwall

このあたりとくに。

 

中でもwhatever
ずっと鳥肌でした
途中涙が少し出ました。

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I'm free to be whatever I
Whatever I choose

 

You're free to be whatever you
Whatever you say

 

俺は自由だ

なんにでもなれる

なりたいものになんでも

 

おまえは自由だ

なんにでもなれる

おまえが言うなんにでも

--------

 

リアムの声は、「全肯定」の声。
あんな声でwhatever歌われたら感動するほか、ない。

 

声そのものが、ある種の意思を持っている。としか思えない。

日本で言うと、エレカシのミヤジのように。

何を言っているかわからない、英語だから、でも伝えたいことはわかる。

わかるというか、届く。

(whateverは「どうでもいい」ってスラング的意味もあるそうだけど、ここではそれは違うとおれは思う、そういう風には届かない)

 

どうやっても伝わってしまう。「全肯定」が。

後ろ向きにはなりえない。

だからオアシスはニルヴァーナにはならない。

 

勝手に胸に刺さってもう抜けない。

最高でした。

ロックンロール。

最高、as you were.

 

※贅沢言うと次はお兄ちゃんと来てください。

 

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ウナギさんが好きです。でも、ユウシさんはもっと好きです…!(正気)

絶滅危惧種ヨーロッパウナギがまあなんというかアレなルートで日本に輸入され、牛丼チェーンなんかで格安で食べられるようになりましたとさ。

と、なっても、基本、ウナギを食べる人を批判はしない。
考え方は人それぞれだ。
俺の友人もウナギを食っているだろう。
絶滅危惧種の考え方だって、色んな見方があるだろう。
ウナギより友人のが大事だと言い換えてもいいかもしれない。

で、俺は食べない。

ウナギは好きだよ。美味しいと思うよ。
でも。大切なのはウナギ以上に、俺だからだ。
俺は絶滅危惧種を食べない俺が好きだからだ。
ウナギより好きだ。自分のことが。

これで100パー納得してる。

下北沢 珉亭

パソコンでしか文章を書かないので、パソコンから離れた生活をしているとブログが書けなくなります。ユウシです。

下北沢の珉亭が閉店というツイートを見て、とにかくびっくりした。
地方暮らしのロックファンにとって、憧れの場所。1度は行ってみたい場所。

しかし閉店という情報は正確ではなかったようで、とりあえず安心。

…安心?
なにが安心?

「決して閉店しない」とでも?俺?

そーじゃない。
今まで何度も、失ってきたじゃんか。

うん、行こう。この夏に行こう。

時間も場所も人も、「いつか行こう」を永遠に待ってはくれない。

行きたければ早く行こう。
会いたければ早く会おう。

永遠ではない。
必ず、有限。
いつか失う。いつか遠のく。

なら、今だ。
思いには、素直さ、が1番、いいんだ。
草花に水のようなものだもの。

永遠ではない。
いや、永遠は、ある。
それは時間の中にある。
あのときのぼくやあのときのきみは
永遠のものとしてぼくの中にある。
しかし、質量として存在するものには、やはり永遠はないんだ。

だから、永遠とは祈りのようなもの。
「ご飯が炊かれ麺が茹でられる永遠」。

時間として永遠にするために
「触れるもの」には、「すぐ触ろう」。

触りたい。行こう。

自分はどこにいるか

僕が大学時代所属していた部活の顧問は、高橋史朗先生であった。

先生は、実際の部活動にはまったく興味は無いようで関わりがなかったが、打ち上げなどでおごってくれたり活動を評価してくださったりして、「お世話になっている」という感覚が僕ら学生にはあった。あと、カラオケで「飲みすぎたのはあなたのせいよ♪」と一緒にデュエットして、最後にサライを熱唱した記憶もある。

先生の研究などは、ゼミも違ったし、当時何もわからなかったが、著作をもらったこともある。
あいにく不良学生の僕は、活字だらけの専門書に興味が持てず、読まなかったが。

純粋でいい子の学生がまじめにその本を読んでいたら、どうだっただろうか。
僕みたいな「年上がおごるのは当然だろ♪」みたいな調子のいい人間じゃなく「本当にお世話になっている」と深く恩義を感じるようなタイプだったらどうだっただろうか。

今でも、史朗先生には「お世話になった」という感覚がある。間違いなく、先生は「いい人」だったし、優しかったし、学生思いだったと思っている。「恩人」という感覚がある。

しかし、高橋史朗先生は、「親学」など、今の僕が到底認めることのできない「とんでもない教育論」の提唱者だ。

そこに、僕は「人間」を思う。

会ったこともない安倍首相のことは痛烈に批判もできるし、なんならその人格まで批判してしまいそうな勢いだ。
しかし、史朗先生に、そういう批判はできない。
理論を批判はするし認めない。
だが、人格攻撃をしようとは思えない。
知っているからだ。本人を。

会ったことがなければ
知らなければ
あとは想像しかない。

やさしさとは想像力だ。

誰かを批判するときに、「僕が僕であること」を忘れないようにしようと思う。
僕が僕であること。「こういう僕でありたい」ということ。

一番大切なのは、「自分」だ。

醜い自分にならないように。
美意識を失わぬように。

確固たる意思を
やさしさの上に乗せて。

そこに、自分。

 

夜に思う、不安。

変化していく。
あらゆるものは変化していく。
人間そのものも、関係性も。

そんなことは当たり前すぎること、わざわざ、大人がこうやって、確認するようなことですら、ない。
わかってる。
わかっていても、ときおり、まるで口に出すような生々しい息づかいで、心の中、つぶやく。

おれは幼児に関する職場に勤めていて、そこそこいい年齢で、一般的には、わりとえらいとされている役職についている。

そして今夜はお泊まり保育だ。

夜中は、職員で、1時間ずつ、寝ずの番をする。
おれは、そのうち2時間を担当する。
自分で、そうした。人が足りなかったからだ。

えらい役職なのに新人みたいな働き方して、えらいね!と単純には、思わない。
えらい人にはえらい人の仕事がある。
その人にしかできない仕事があるならば、他の人にでもできる仕事は他の人に任せてもいい。そんなときもある。

しかしおれは、自分が不安なのだ。 

いつまでも、若くいたい。
変わりたくないところは、変わりたく、ない。

2時間の間、おねしょのチェックをしたり、一緒にトイレに行ったり、つい今までは、おねしょした子のパンツを水道で洗っていた。
あんまり星は見えなかった。

こうして。
子どもの近くにいないと。
おれが不安なのだ。

子どものためにと思う気持ち
みずみずしい感性
そういったものを、失いたくない。
失うのが、怖い。

顔も体も老けていく。
でも、自分のことばかり考えてる年寄りには、なりたくないんだ。

まわりの人はみんな変わっていく。
おれは、どうだ?
変化は必ず、する。
それは、もちろん、いいことだ。
または仕方のないことだ。
でも、大切なことを大切にできているか?

忘れない、変わらない

おれは、やる。愛し続ける。
誰が変わってしまっても。
誰がおれのそばを去っていっても。
おれは、変わらずに。
夜だから夜中だからそのテンションをここにぶつける。
だからって、嘘じゃない。
こんなときに、誓ったって、いいはずだ。